家庭宗教 2019.10.01

 だんだん朝晩冷えてきました。
皆さん、昼と夜とでうまく調整しながらやっていただきたいと思います。
高齢になるとなかなか微調整がききません。
ただ、それを通して、私達は神様によって生かされているということ、自分で生きていないんだということを、ひしひしと気付かせていただく訳です。

 自分で生きているのなら、自分の思うようになります。
風邪もひかないし、元気でいられます。
いざという時にも、ちゃんと物事ができるはずです。
だけどそうはいかない。
なにかあると、調子が悪くなる。

 神様は私達に、健康と経済と人の三つがきれいな三角形になって、栄えることを願っておられるわけです。
親は、子供に幸せになってほしいという願いを込めて、いろいろ考えて名前を付けます。
みんなそう、それが道理なのです。
神様の願いも、私達の願いも同じです。
ただ問題なのは、その流れに逆らおうとするのがいけないのです。

 流れを無視し、逆行しようとすることがいけないのです。
流れに逆らっていくから、変に流されてしまう。
そして小さな三角形になってしまうのです。
だから健康・経済・人の三角形が揃って大きくなるように、私どもは神様の願いを受けて、その流れに乗らなければなりません。
その願いとは、天地にお礼を言う、ということ。
天地が命を下さっていることへのお礼です。
そして生かされている間に、病気をしたり、経済で苦しんだり、いろいろある中で私たちは磨かれ、そして元気をもらえるのです。

 先代先生は感話集の中で、「このお道は家庭宗教じゃ」とおっしゃっておられます。
家庭がよくなければ家がもたん。
家がもたなければ国がもたん、ということです。
家族でも、おはようございます、などの挨拶がきちんとできて、家族中が拝み合えるのが理想ですね。

 それが、この頃は忘れてきておりまして、自分の思うようにさえなれば、それでおかげじゃと思っておられるから、なかなか前に行きませんし、繁盛も中途半端な状態です。
だから本当の繁昌をいただいて、子孫繁盛、家繁昌の道がつきますように。

 先代先生五十年を区切りに、ここからです。
これで終わりじゃありません。
教会設立五十年も近づいてまいります。
ぞうぞ先代先生のご信心を見直させていただき、ここから皆さん百年に向けて取り組ませていただきましょう。

         (親先生のお話より)

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