極 意 2019.07.01

 信心の極意は、人の喜びを我が喜びとするということですね。
人の幸せを本当に喜ばせてもらえる自分になる。
それが私たちの理想です。
人が良いようになって腹が立つようでは、いけませんですね。

人の喜びを自分の喜びとして分かち合えるよう、親子・兄弟・親族・お友達が幸せになったらその喜びを自分もいただいていく。
そうなれば共々に幸せになれます。
だからお参りをさせていただいて、その喜びの種を撒く稽古をさせていただきましょう。

 信心も一つのスポーツと言えばスポーツです。
あまり考えちゃいけんのです。
なにしろ一回でも多くお参りすること。
教会は一日に五回ご祈念がありますので、どこでも良いですから、一回でも多くお参りして、ご祈念をあげさせてもらって、世界の平和と人類の幸せを、そして、地域の発展、自分の立ち行きを願わせていただく。
一回でも多く数を参らせていただいたら、それだけ神様で悪いものを取って下さるのです。

 メグリを徳に変えるコツは、痛くても、教会にお参りして、御結界で「痛いです治してください」とお届けされて、痛い所をお参りで元気にしていただけるようにするのです。

 折々、神様からいろいろ気付かせていただきます。
奥城で転倒して骨折した方もおられますが、これもまた、それで済ませていただいているのです。
大きな病気をするより良いです。
文字通り「骨折った」ということですが、大きな病気をして、一ヶ月二ヶ月入院するよりは、骨折らせてもらって良かったと思います。
どうぞそのように、悪いものを少しづつ災難で取ってくださっている、大きな難を小分けにしていただいているのです。

 どうぞこの信行期間も、自分から進んで日々の問題に取り組ませていただき、悪いものを取っていただきましょう。

 この一ヶ月間、信行の山に無事登らせていただいて、そして八月一日の銀座参拝をお迎えし、みんなでお礼をさせていただきたいと思います。

         (親先生のお話より)

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