神性にめざめる 2018.06.01 |
信心している私どもは、いつも夢を持って、プラス思考でいって頂きたいと思います。 信心深い教祖様は迷信というものにこだわられませんでした。 最初は庄屋さんに教わったように日柄方角を見たり、迷信に凝っておられたのですが、うまくいかないのです。 で結局行き詰まられて、この天地自然の働きを拝んでいくということを徹底され、それによって天地の親神様が出てこられ、このお道が始まったのです。 いつもいつもプラスには思えませんけれども、それでも、悪いことを言って待たないように稽古をさせて頂きましょう。 そうすれば段々と、天地の働き、私達を抱えてくださる親神様の働き、愛の働きとも言えるでしょうか、そういう働きを感じてくるようになるのです。 もっと分かりやすく言うと、物事を良く取る生き方を自然にやっていますと、有難くなってくるのです。 日参していたら、どれだけおかげを頂いているかということがよく分かり、だんだんプラス思考ができるようになるのです。 しんどくてもだんだん平気になるのです。 日参される方の中には、腹痛、頭痛、腰痛、など痛いところを痛みながらでもお参りされています。 なんでかと言うと、参ったら良くなるから。 痛い痛いと言いながらでも、いつものように仕事ができるんです。 もし信心が無かったら、痛い時は休むでしょう。 そういう風に、日参される方とそうでない方とでは差が出るのです。 だから病気でも「有り難い」病気ですから治ります。 生かされる中でこうして病気をさせて頂いて、痛い・辛い・気分が悪い、といっても、命あってのことだということを、いつもお話を聞かれて勉強されているからです。 皆さん、信心は実行です。 悪いことを言って待たずに、良い事を言って待たせてもらいましょう。 こうして命があるからこそ、痛い目や辛い目や苦しい目がありますが、先には幸せが待っているのです。 神様は悪いようになさらないのです。 神様が私たちに苦労をさせるのは、皆さんに幸せになってもらいたいからなのです。 (親先生のお話より) |