天地の命 2018.05.01

 御本部では、毎月十日・二十二日と月例祭があり、高須教会では必ずお参りしております。
皆様もご都合付けて、お参りしてください。
夜は夜で、教会ではこうしてお祭りがあり、これが高須教会の伝統です。お参りするということが、私たちにとっては、教祖様の御信心を実践することになります。

 玉水の初代大先生、そして先代先生の御信心がそうです。
皆、足を運ばれたのです。
また、銀座の先生は「下手な鉄砲でも数打ちゃ当たる」と御教え下さっています。
玉水の初代大先生は「鈍な自分でも根気をもってやっていけば、必ず運がまわってくる」と言われています。
「鈍根運」の御教えです。教祖様は「実意丁寧神信心」です。

 教祖様は色々な行をなさいました。
有名なのは、神様から「お金が落ちているから行ってこい」と言われ、行かれましたが、何も落ちていませんでした。
でも、教祖様は神様に「大変なものを拾わせて頂きました。
久しぶりに運動をさせて頂きました。」とお礼を言われました。
それで、神様は大変喜ばれたそうです。
そのようなことが、沢山あります。
「氏子あっての神、神あっての氏子」と言いますが、教祖様が神様と私たちの仲立ちをして下さったのです。
その教祖様の信心辛抱のお徳により、ずっと今日、五代様まで続いてきているのです。
百五十九年、すごいです。
その間には、色々なことがありました。
戦争もありました。
度重なる大震災もありました。
お互い人間同士、何が起こるか分からない中を、助け合っていくのが人間ではありませんか。
争っていくのが人間ではありません。
どうぞ、争いのない世界が来ますように、人間本来のあり方、考え方を変えていくことがすごく大切だと、つくづく思います。

 だから、「おかげは和賀心にあり」という御教えがあるのです。
おかげは自分たちの責任です。
神様はおかげの塊なのですから。
先代先生は「神は愛の結晶」と言われています。
全てが神様の権化です。
神様が段取りされているから、全てがあるのです。

 どうか、皆様、信心を家族に現わして下さい。
全てが神様の手がかかったものなのです。
そう思えば、お米一粒でも人の命が助かることもあります。
「頂く」という気持ちを大事にして頂きたいと思います。

         (親先生のお話より)

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