天地は神の懐 2017.04.01

 山波奥城の桜も満開になり、鳥がうれしそうに飛び交っておりまして、枝へ止まりますと、桜の花びらがヒラヒラと散るんです。
桜の花びらを見ますと花びらが、こう、顔のように見えて、笑っているように思えました。
有り難いなあと思います。
信心させて頂いて有り難いのは、そういうように思えるようになったということが、つくづく有り難いと思わせていただいております。

 この瀬戸内海は環境が良いですから、もっと喜ばなければいけないことがたくさんあると思います。
中国からはPM2.5が飛んで来ていますが、その影響からか、咳が止まらないとかいろいろありますけれども、それでもまだ綺麗でございまして、ほんとに風光明媚なところに暮らさせていただいておりますことは本当に有り難いと、感謝を忘れてはいけないと思います。

 私達は神様から命を頂いていますが、それは、生きる時間を頂いているということです。
そして時間をもらえないようになったら死んじゃう訳です。
しかし自分が頂いた時間だからといって、自分の都合の良いように時間を使って良いかというとそうでは無く、世のため人のため、沢山の人達の為に奉仕をさせていただき、そして自分の時間も持たせていただくのです。

そうすると人の為に費やす時間も、また自分の為に費やす時間も尊くなるのです。

 また私たちは時間に追われ、時間に魂を取られています。
みんな時計ばっかり見て、時間に追われている。
自分のペースでできれば一番いいのでしょうけれども、追われるのが習慣になってしまっているのが怖いですね。
何しろ自分の頂いた時間をもっと喜んでいかないといけない。
私たちは時間に魂を取られてしまって、大事なことをちょっと忘れていると思います。

 そして、すべての物を大切にしてください。
これは安いからどうでもええ、高いから大事にする。
そうではなく、全て天地のもの、神様のもので本来何もあるものではないのです。

 皆さん、私達は自分のものは何にも無いと、そう思ったら少し楽になります。
何も無いから、有るのが難しい、有り難い訳です。
有り難いというのは、何も無くてもしょうがない、与えていただいているわけです。
命を下さり、時間を下さり、命が果てるまで自分の時間を下さっているのです。

 人間は限りがあるけれど、神様は限りが無い。
この天地は普遍のもの。
その天地に向かっていくのです。
どうぞ、天地の懐へ手も足もしっかり入れて、助けさせていただくおかげをこうむらせて頂きましょう。

         (親先生のお話より)

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