声なき声 2017.02.01

 教祖様は「桜の花の信心よりも梅の花の信心をせよ。」とおっしゃっています。
梅の花は花弁が固いですから、ずっと咲いています。
桜は華やかですが、すぐに散ってしまいます。お互い、梅の花のような信心をさせて頂かなければならないと、つくづく思います。
教祖様も梅の花を見て、そう思われたのでしょう。金光町も梅や桜が咲いたりして、きれいだったと思います。
それを見ながら神様からのお言葉、「声なき声」を聞かれたのだと思います。

 どうぞ、私共も信心させて頂いて「声なき声」ということを、気を付けて頂きたいと思います。
我情我欲ではなく、神様に心を向ける稽古をして頂きたいです。
そうすると、色んなことが聞こえて参ります。

 私も、人の言うこと、孫の言葉、皆様方のお届けの様子を見させて頂き、勉強になります。
不自然に我が入るのでは、いけません。
真がある方は、おかげが頂けます。
大事なことですね。
神様へのお供えは真心ですから、他にはないのです。
全てが神様のものであり、私どもの頭の先から足の先まで、全て神様がお創りになったのです。
何を見ても聞いても、「声なき声」を分からせて頂きたいです。

 玉水の初代大先生は「参った者には全て、おかげを授けずにはおかん。」と言われています。
先代先生も同じように言われています。本当にその通りです。
「親を思い、人を思うこと人後に落ちん。」と、自負しておられます。
まさに、その生き方だったのです。
人のためなら、お通夜でもされる。有難いことです。

 人のために大きなことをすれば、大きなおかげが頂ける。
これは、天地のシステムで神様がお決めになったことであり、私どもが決めたことではありません。
世のため人のために尽くしたら、それだけ私どもにかえってくるということです。
そういう道理になっておりますので、そこを曲げることはできないのです。
それを、みんな曲げているから、大変なことになるんです。
どうぞ、天地の道理の中で、喜んで生きることをして下さい。

         (親先生のお話より)

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