「神秘の中で」 2016.09.01

 昨年八月、銀座教会初代親先生四十年祭の時に刊行された「まなざし」は読みやすいですが、奥が深いです。

 親先生のご信心はすごいものでした。
親先生が銀座に布教に出られてから、関東大震災や東京大空襲などを経て、その上でこれを練られたのですから、今現在読んでる私たちとは心境がまったく異なるのです。

 キリスト教の教えに「人はパンのみで生きるにあらず。」とありますが、親先生は「パンを食べねば死んでしまう。」とおっしゃっています。
これは生きた神様をいただく信心をするということです。
親先生は「生きた神を信心せよ。神は昔から死んだことなし。」とも言われています。

 現代は神様を殺してしまい、人間本意になってしまっています。
何が起ころうとも神様のおかげをいただいて、そこを乗り越えさせていただくことができる、これが素晴らしいことだと、つくづく思わせていただきます。
辛いことや苦しいことが嫌だというのではつまりません。
誰だって嫌ですが、しかしどうしてもそこを通っていかねばならないのです。

 私たちはとてもわがままで、相当我が強いです。
だからこそ、辛いことや苦しいことを通じて真の信心に気付かせていただきますよう、精進していかねばなりません。
みなさんのご家庭でも、家族みんなが生かされていることでひとつに結ばれてまいりますように、願っていきたいものです。

 なかには「よく祈れません。
私には願うことが一つもないんです。
どう祈ったら良いでしょうか?」と訊かれる方がいますが、自分は足らない者だと思ったら、祈らざるを得ないはずです。
自分は力がないものである、自分は力が足りないと思ったら、どうしても祈らないといけません。
私たちはいつか神様の御元に帰らなければならないとしても、自分の力ではできません。
だからお願いする、そのために信心があるのです。

 親先生は私たちに分かりやすいように、天が父、大地が母、と言われました。
布団に入っても、掛け布団が父、敷布団が母、と思って拝めば元気にしてもらえる、とおっしゃっています。

 私たちはこうして、銀座親先生や玉水大先生の教えをいただいて一生懸命やっていけば必ずおかげをくださいます。
親先生はこうしたおかげを「神秘の働き」とおっしゃっています。
理屈ではないのです。
それでもいただけない時は自分の信心が間違っている時ですから、直していけばいいのです。

 こんな時代ですから、舵取りを間違えたら大変なことになりますので、ともどもに間違いのない生き方をさせていただいて、いつまでもこの国が立ち栄えていきますように、そして世界が栄えてまいりますように、信心させていだたきましょう。

         (親先生のお話より)

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