「信心は御用」 2016.08.01

  私の銀座教会修業時代、よく廊下の乾拭きをしておりました。
何度も何度も光るまでやっていました。
初め、乾拭きというのは意味がないと思っていましたが、やっていくうちに、意味があると思うようになりました。

 日々の祈り、お参りも乾拭きと同じだと思います。
水をつけて拭いているわけではないので汚れはとれませんが、一生懸命こすっておりましたら、段々とつやが出てきて、拭いている布巾が床に映るようになってきます。
すごいなあと思いますが、祈りもそういうものなのだと思います。

 御用をさせて頂いて、学ぶことが沢山あります。
その時は分かりませんでしたが、今になって、そのことがよく分かるようになりました。
やらせて頂いたことが全て、役に立っています。
無駄なことは何もありません。
何でも勉強だと思えば、おかげになるのではないでしょうか。

 全てのことを信心として頂いていかれる。
これは教祖様の御信心です。
このことを真似でもいい、させて頂いたらいいと思います。
何でも信心でとるのです。
先代先生も、映画や芝居を観ても、信心でとりなさいと言われていたそうです。

 『信心は御用』と言われています。
信心は神様のお手伝いをすることです。
そうすれば、私達は幸せになれるのです。
それを、自分勝手に思うとおりに神様にしてもらおうと思うから、わがままになって助からないのです。
これだけ参っているのにとか、こんなに御用しているのにうまくいかないとか言って不足が出るわけですね。
それは自分本位だからです。
神様に使って頂いていたら、必ず全ておかげになっているはずです。

 私たちは、病難、不時、災難、色んなことをお繰り合わせ頂いて、今こうしておらせて頂いているのではないでしょうか。
どうぞ、神様に導いて頂きますように。
神様の御用を私達にも分けて頂き、させて頂いて、神様に喜んで頂く氏子にして頂ければ、間違いなく助けて頂けますので、日々頑張ってお参りして下さい。

 教会では練習問題をしています。
練習問題で終わることなく、生きたおかげを頂き、生きた信心を頂いて下さい。

         (親先生のお話より)

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