「神は光」 2015.12.01

 みなさんは個人的にそれぞれ思いをもって参っておられますが、自分の思惑だけでなく、世界がひとつになるお役に立つために参っているのです。
玉水の初代大先生の願いこそが、まさに世界がひとつになることです。
みなさんも手落ちの信心ではなく、手を抜かず妥協せずにしっかり神様にすがってください。
同じ生きるなら一生懸命やってください、と大先生はお教えくださっています。

 「実意丁寧神信心」。これはものすごく固い教えです。
「実意丁寧」にすることで全てを変えてもらえます。
教祖様は大変合理的なお方だったからこそ、この一番合理的な教えがあるのです。
では「実意丁寧」とはどういうことか。それは「一心に願う」ということです。

 毎日頼むことが大事なのであって、たまに頼むだけでは意味はありません。
だから、なんとか工夫して教会にお参りして頂いてください。
それが私たちの修行、参拝修行です。
ご祈念にあって、お話を聞いて、お取次をいただいて改まらせていただき、そして実行させてもらうことです。
これを毎日やらせてもらえばいいのです。

 しかし慣れてきますと、参るのが当り前になって、参っても参らなくても一緒だ、となるでしょう。
そうすると「今月今日で一心に」とならなくなり、段々と神様から心が遠退き、知らないうちに我情我欲が出てきますから、できるだけお参りすることを修行とさせていただき、お繰り合わせをいただきましょう。
電話やファックス・メールでお届けされてもいいですが、身体を使って、辛い・苦しい・しんどい思いをしないとスイッチが入りません。
文句を言わず足を運ぶ、これが経済的には一番良い、と大先生もおっしゃっています。
宗教的経営学です。

 また、先代先生は「肉迫をしなさい」とおっしゃっています。
理屈ではないのだから、神様に身体で迫り盲目的に信心なさい、そうすれば神様はちゃんと応えてくださる、と言われています。

 神様は私たちの光、希望なのです。
だから金光教なのです。
私たちのオーラが金色に光るまで一生懸命信心させていただきましょう。
これだけの者が寄らせていただいて大先生にお礼を申上げたら、みんな光るわけですから、大先生も喜ばれます。「あんたらがそうして喜んでくれとるんなら、私はその喜びを貰ってしっかり守ってやるぞ、導いてやるからな」とおっしゃられているはずです。
正に希望の光です。

 寝るとき、「生かしていただきましてありがとうございます。寝ている間に身体のメンテナンス(保守・維持)をしてください」、と手を合わせて休んでください。
そうしたら快適に目覚めますから、その時にも、またお礼を言わせていただきましょう。
辛くても苦しくても、今日も命を授かったと思って喜んでください。
今日も新しい命を賜ったのです。

 (親先生のお話より)

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