「合理的信心」 2015.11.01

 今月は御大祭の月です。
教祖様がお出ましになったということは本当にありがたいことです。
教祖様の御信心は、非常に合理的であると思います。
山にこもったり、断食をしたり、荒修行をしたりということはありません。
日々の生活こそ、信心の元であると言われています。
縦と横の糸を織るように、生活と信心とがうまく織り込まれていくことが、教祖様の現わされた御信心だと思います。
その点が合理的であり、無駄のない所です。

 金光教には、「御無礼、お粗末」ということはありません。
自分の力で生きようとすることが、御無礼ということなのです。
毎年自殺をする人が増えております。
特に若い人が亡くなるのは、非常に残念なことです。
それは、自分の命だと思っているからです。
私どもは、自分たちの周りにそういう人がいないように、なんでも祈らせて頂きたいと思います。
せっかく神様から授かった命なのですから、最後まで大事に活かして頂きたいです。
命を大事にしないことが、御無礼の元なのです。「我が力で生きようとする」これがこのお道の一番の御無礼です。

 また、「あれを断ちます。これを断ちます。」と言って、食べるものを食べなかったり、体を痛めて水をかぶったり、火の中をくぐったり、そんな曲芸のようなことをする必要はありません。
薬漬けになったり、体に傷を付けたりすることもいけません。
できるだけ、そういうことは避けたいものです。
次に、「日柄、方角」です。
日柄も方角も全て、神様から守られている所です。
そのようなことを言う必要はありません。

 また、家柄よりもその人の性格が大事だと言われています。
身分の上も下もない。
皆、天地の子である。
それは、ありがたいことです。
教祖様は一農民であられたから、隔てなしにそうおっしゃったのでしょう。
人間を隔てるということが我情・我欲につながるわけですから。
幕末の封建制度が壊れる頃に、教祖様が悟りを開かれたというこは、とてもありがたいことだと思います。

 最後に、親孝行です。
「信心は親に孝行するのと同じこと」と言われています。
親にも色々あります。
生みの親、育ての親、教えの親、そして御先祖様、ひいては神様。
その親に、安心と喜びと満足を与えさせて頂くことが、親孝行になるわけです。
信心は親孝行です。

 どんな時代になっても、親子の関係はなくなりません。
ただ、核家族制になって個人主義になり、大きな問題が生じてきています。
早くそこに気が付いて、親子助け合って家庭を大切にして行かれたら、無駄もなくなり、合理的になると思います。


 (親先生のお話より)

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