「一心の祈り」 2015.08.01

 銀座教会の春の御大祭である五月二十五日は、東京大空襲で教会が全焼した日で、その日をお祭りにされています。

 大きな問題が起きた日を忘れないために、そういう日をお祭りにされることがすごいと思います。
その事を考えても、銀座の先生のご信心が推測できると思います。
つまり、難儀をおかげにしていく生き方です。

 銀座の先生のご祈念は半端ではありません。
祈るということは、本気で祈らなければなりません。
いい加減な気持ちで祈ってはいけません。
しらけた気持ちで祈ったり、自分が神様に、何かしてやろうと思ったら絶対だめです。

 神様に何もかもしていただいているという気持ちで祈ることが大切です。
銀座の先生のご祈念はそうだと思います。
そのご信念は、どこからきたかというと、関東大震災での教会の全壊、そして、世界大戦の大空襲による教会の全焼、という中を通って来られているから強いのです。
世の中がどうなろうとも、神様を離さないと、おっしゃっていました。

 私たちの神様は宇宙の神様です。
天が父、地が母で、地は地球です。
ですから、私たちの神様は莫大、大きいのです。
自然教なのです。
自然を相手にした神様ですから、対立することはありません。
そして、私たちは神の子なのです。

 いろいろ問題を抱えていますが、それは神様からの愛の課題なのです。
子供たちの宿題と同じです。
私たちも一生の課題があるわけです。
自分の都合のいいようにいけば、それが幸せかと言えば、決してそうではありません。
都合よくいっている人は、あまりありがたく思いません。
都合よくいっていない人の方が喜んでおられます。
苦労されている人の方が、喜ぶ事が上手です。

 健康でお金もあり、家族にも恵まれ何も言う事がないのに、それが面白くないと言われる。
情けないことです。
わがまましている人は、つらいとか苦しいとか、そんなことばかり言っておられます。
長年、信心されているのかどうかわかりませんが、古い信者さんでも、そういうことはあります。
私は、それは本当に悲しいことだと思います。

 お参りするという習慣はついているけれども、一回一回、仕切りをしなければいけないと思います。
「お参りさせて頂いて、ありがとうございます。」とお礼を言わなければいけません。
毎日、命を頂いているのに、それがあたりまえのように思い、またお参りできるのも、あたりまえのように思い、帰られる。
そんな事では、何の効果もでません。
精神的には全く掘り下げていないから、ピンとこないわけです。

 今日一日、今日一日とやっている人と、ダラダラとやっている人とは、全く違います。
銀座の先生の言われる『真剣にしなければならない』というのは、そこなのです。
お参りは、しっかりと信心の稽古だと思って、気をつけてやっていってください。


 (親先生のお話より)

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