「あたりまえ」が あたりまえでない 2015.07.01

 今日から夏の信行期間がスタートしました。
感話集の中でも先代先生が『熱意をもって信心をしっかりいただきなさい』とおっしゃっておられます。
信心させていただくということは、−生かされていることの喜び、ありがたさ−を分からせていただくということです。

 息ができるから悪口も愚痴も不足も言えますが、同じ言うなら、「ありがとうございます」と言わせていただくと信心になります。
信行期間はどうぞ愚痴や不足を言わず、「ありがとうございます」をいつもよりたくさん口に出して、少しでも成果を現し、少しでも信心を進めさせていただき、心境を変えていただければと思います。

 どのように変えていただくかというと、不足が減った、喜べるようになった、そして、参らせてもらっていることがありがたい、と思わせて頂きましょう。
阿呆らしいとか、つまらんとか思わないことです。
何もかも全て経験ですから、勉強だと思って、しょうもないこともありがたくやってください。
そうすれば、参らせていただくことがありがたい、神様に引っ張っていただいてることがありがたいと思えるようになります。

 信行期間であれば、「はからい」を読ませてもらって最後まで実行させていただいて、判をもらえたことがありがたいと思えるようになるといいです。
判を一度捺してもらっただけで三日坊主で終わり、では何にもなりません。
無気力は神様が一番嫌われることですから、神様にやる気を起こさせていただくのです。
神様は私達が想う以上に引っ張ってくださっておられるのです。

 そうして信心させていただく中で、自分は一体何のために生まれてきたのかを考えることがありますが、そういうところが真の信心で求められるのではないかと思います。
私たちが生きていることが家族のためになり、また家族の存在が私どもが生きていく糧となるように、変わらせていただきましょう。

 私たちは自分のことばかり考えていますが、信心をさせて頂くからには、子どもたちや孫の代のことを考えないと本当のおかげにはなりません。
親の信心のありがたさ、信心の力、信心すればおかげをこうむれることを教えていただき、子どもさん達にも伝えてください。
信心していれば、そこからまた、道がついて信心を進めさせていただき、家族にもおかげがいただけると思います。
今までの信心を振り返ることで、いくらでも勉強ができます。

 この信行期間は、ともどもに生かされていることの勉強をしましょう。
どこまで生かされているのか考えてみると、尊いと思います。
いろんな方のいろんな体験を通して、いろいろと教えてもらえます。
病気の方、経済で困っている方、人間関係で苦しんでおられる方は、どうぞここを乗り越えておかげをいただきましょう。

 (親先生のお話より)

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