唯一神 2015.05.01

 五月十四日は、天地金乃神様の御大祭です。
私どもは日々、天地の親神様から命を頂いています。
そういう神様のお祭りをさせて頂く、一年に一度の日です。
御大祭は春と秋の二回ありますが、春は天地の親神様、秋は教祖様のお祭りです。

 天地の親神様は教祖様に「農業をやめて、これからは私の手伝いをして、参って来る氏子にあなたがおかげをうけたことを話してほしい。
神は悲しい。なんでも、この悲願を伝えてもらいたい。
人間は一生懸命、自分で生きようとして、あせったり、うろたえたりする。
難儀なことが起きてくると、自分の力でしようとして、いろんな理屈を言って、小細工をして、力がないのに勝手なことをして、自分で自分の首を絞めている人が多い。
あなたもそのことで、悩んで来ただろうが、あなたの実意、丁寧をみんなに話してほしい。」とおっしゃったのです。

 信心は実意です。
真がなかったら、信心にはならないのです。
ですから、教祖様は、「信者の中の信者」といえます。
どこまでも、偉大なる神様を頂いていかれたのです。

 一般的に信心と言ったら、神様に、自分の思うようにして下さい、とお願いすることが多いと思います。
自分の思いを叶えて下さる神様が多いです。
ですから、神社などでも「○○の神様」というように、専門が多いです。
病院みたいです。
いろんなことに効く神様がおられます。
中には、お金儲けの神様もおられます。

 しかし私どもの神様は、お金より尊いもの「命」を下さる神様です。
「命」を頂くということは、大変なお金儲けです。
元気で長生きしたら、相当な儲けです。
そして、私どもの神様は宇宙の命なのですから、オールマイティ(万能・全能)です。

 教祖様は、そういう、限りなくゆるぎない神様を、私共に現して下さったのです。
神様は教祖様に「氏子あっての神、神あっての氏子。神がこうして世に出ているのは、氏子のおかげである。」とおっしゃったわけです。
教祖様がおられなかったら、天地の神様は、この世に現れなかったわけです。

 神様はいつも、悲しんでおられます。
それは、「助かってほしい」という、神様の願いを私たちが分かっていないからです。
そういう神様を私どもは、信心しているのですから、おかげにならないことは、絶対ないのです。

 自分の願いどおりになるのが信心ではありません。
神様の願いを実現することが真の信心なのです。
神様は、私どもの幸せを願って下さっているのです。
そして、そのことを分かってほしいと願っておられるのです。


 (親先生のお話より)

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