「神は命」 2014.05.01 |
玉水の大先生は「毎日、毎日を命がけのご祈念をしていきなさい。」と言われています。 毎日、何が起きるかわかりません。 元気で無事であるということは、当たり前のことではありません。 「ことがあって当たり前、なかったら不思議と思いなさい。」ということです。 また、お年の方は、いつお迎えがくるか分かりません。 どうしようか、どうしようかと思うより願っていけばいいのです。 死に際にも、お願いせよと言われています。 生きている時だけお願いするのではありません。 死に際にもお願いしなければならないということは、神様のおかげを受けずには、おれないということです。 大先生も、そこのところを、「信心は、しなければならないというものではなく、せずにはおれないものだ。」と言われています。 私たちも、そこをわからせて頂かなければならないと思います。 食事も同じで、私たちは食べずにはおれません。 信心も同じことです。 神様から、心のエネルギーを頂くのです。 体のエネルギーは食べればいいですが、心のエネルギーは神様から頂かなければなりません。 心のエネルギーを頂かないと、魂が元気がなくなり、心のバランスが崩れてしまいます。 そして、精神的に不安定になって、おかげを受けられない状況になるわけです。 つまり、精神的な栄養失調です。 最近はそういう人が多いです。 それは、天地を敬わないからです。 自分が生かされていることのお礼が足りないのです。 信心するもしないもありません。 私たちが、天地からお世話になっていることに対しての、感謝がないのでしょう。 感謝するということは、信心以前の問題です。 親に産んで頂き、育てて頂いたおかげ、そして天地のおかげ。 天地が私たちを支えて下さって、生きた働きがあるということです。 それで、私たちは信心をさせて頂いているのです。 信心させて頂いている者は、ただ天地に感謝するだけではいけません。 本気で「神様命」としてやらせて頂く、これが信心だと思います。 なかなか、一度にはいきませんが、それが目標です。 神様が命なのですから、その命が支えて下さらないと、おかげにならないのです。 当たり前のことが喜べなくなるのです。 それが恐ろしい、徳切れというのです。 そういうことになると、不足だらけになり、大変なことになってしまいます。 ですから、私たちは祈らせて頂き、神様からしっかり守って頂くことが大事だと思います。 (親先生のお話より) |