「天地に遊ぶ」  2014.03.01

 教祖様は『この世に苦労しにきたんじゃない。
遊ばせてもらっているんだ。』と仰っています。
『天地に遊ぶ』と仰っています。
「わしゃあ遊ぶ暇はない。いつも働きっぱなしじゃ。」と言うけど、働くということも遊ばせて頂いている訳で、苦労することもそうです。
そうすることによって、私たちは勉強させてもらって、生かしてもらえるのです。

 これが何も無かったら飽きてしまいます。
「幸せに暮らしましたとさ。」それだけじゃあ何にもなりません。
だから色んな所でしんどい目、辛い目、苦い目を味あわせて頂いて、そして楽しい、嬉しいことに合わせて頂ければ、何より値打ちが出るわけです。
どうぞ人生の中で、良い味を残す、そういうおかげを頂きたいと思います。
何にしましても、辛いこと苦しいこと、そういうことで私どもは苦しみに来たんじゃない、ということです。

 神様は私共に『幸せに楽しく暮らしてくれい。』と願っておられると思うんです。
ただ、自分たちの本能のままに暮らすと戦争になってしまいますから、どうすれば良いかというと、神の子として本当の自由を得て欲しい、命の親を知って欲しいということです。
それが、お互いが信心を分からせて頂くということだと思います。

 私共は教えを聴いて神様の子だということを分からせて頂いていますが、神の子だということが分からない人もいっぱい居るんです。
それを分からせて頂いたら、もっともっと本当の自由「遊ばせて頂く」ということが分かるのです。
苦しくても辛くても命を頂いていることには違いない。
思い方次第です。

 先代先生は、「一見難儀のように見えているけれども、それは難儀じゃなく、神様からの愛のレッスン、神様の大きな愛の表れ、愛の結晶である。」と仰っておられます。

 私どもは苦しいことや辛いことがあったら、もうそんな目に遭いたくないから頑張ります。
それによって人と人の心の大切さとか、思いやり、経済の大切さを教えてもらうのです。
経済でも自由にできたら有り難くない。
ちょっと不自由してきますと、お金の尊さが分かります。
また、いろんな人からいろんな目に遭いますと、人を軽く見てはいけんなあ、ということが分かります。
それから病気。病気をしたらみんな優しくなります。
丈夫な人よりも、いつも病気がちな人の方が優しい。
ものすごく思いやりがあります。
どうしてかと言うと、自分でどうにもならん、どこにも持って行きようがない。
そういう切ない思いをするから、「人間というのは足らんもんじゃ。
人様を責めるもんじゃない。」と分からせて頂ける。

 体が弱い方は精神的に強いです。
逆に体が丈夫な方は精神的に弱い、打たれ弱いです。
だから体が丈夫だからといって自慢はできません。
何がおかげで、何がおかげでないか、だんだん信心が分かってきたら言われません。
みんなおかげなのです。

 (親先生のお話より)

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