「病気の器」  2013.11.01

 教祖様は「信心は家内に不和の無きがもとなり」と仰せられています。
金光教は家庭宗教ですから、家庭のチームプレイが大事です。
家庭内で引っかかることがあったら話し合いをして解決しなければ、お互いにモヤモヤして病気になります。

 人間は病気になる器を持っていて、いつ何時ふとなるか分かりません。
だからこそ神様がいてくださるのです。
高須教会にも病院で治せない病気の方があります。

 病気になると命の尊さが見えてきて、生きることの意味を考えます。
今、自分は足が地に付いてない生き方をしてるな、というのが病気になって分かります。
人間は病気の器であり、必ず死ぬのです。
それを自覚してし信心して神様に入って頂かないと病の器になってしまいます。

 病気の器である私どもが、そのまま放っておくと病になりますが、放っておかずに神様のお力を頂いて支えていただき、神様に入って頂いて、元気な身体で日々を過ごさせていただいておれば、ずっと元気でいられるのです。
神様にお縋りする気持ちさえ忘れなければ大丈夫です。
そして、時には躓きながら、病気をしながら、また気がついておかげをいただいて、また油断をしたら病気になり、そしてまた気がついて・・・、これを繰り返しながら信心していきましょう。

 先代親奥様が「病気には必ず峠がある。峠を越さんとぜったい良くならん」と教えてくださいました。
しかし信心しますと神様が病だけじゃなく、その病を引っ張るめぐりや業も一緒に取って下さいます。
その際はちょっと酷くなりますので、そこを気をつけてください。
その代わり峠を越えた後、すなわち、根を切ってくださった後はとても大きなおかげを頂くことができます。
懐の病気も同じです。
そうしながら神様が信心を教えてくださいます。
生かされていること、どんな時でも命が一番であることを教えてくださるのです。
お金が無かったらダメかというとそんなことありません。
命が無かったらダメなのです。

 皆さん一人ひとりが心の中に秘めている神様はすごいと思います。
そして皆さんの心に秘めた神様のパワーを上げていただきたいと思います。
そのためにどうすればいいか。
それはお参りしてノウハウを勉強することです。
教会は信心の塾ですから、神様をいかに分かるかということを学び、分かっただけ皆さんが幸せになるのです。
生きるべきか
死ぬべきか、そんなことは自分で考えるものではありません。神様が考えられることです。

 難しいことを言う必要はなく、神様を頂いたら、みんなおかげをいただける、ただそれだけのことです。
しかし、そのおかげもそこそこでないと、おかげをもらって信心を落とすということがありますので、おかげをもらわずに信心をいただくようにしてください。

 (親先生のお話より)

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