「仕合わせ」  2013.10.01

 信心生活は、祈祷で助かるものではありません。
神様のご気感にかなえば、仕合わして下さいます。
「仕合わす」という言葉は動詞ですが、これは「幸せ」の元です。
「仕合わす」とは、良いも悪いも仕合わす、清も濁も仕合わしていく、白も黒も一つにしていくという意味だと思います。
これは、日本古来の言葉ですが、現在はあまり使いません。
何故かというと、今は「不幸せ」だからなんでしょう。
昔は仕合わしていたんです。
「お幸せですね。」と言うのを聞いて自分も幸せにならせてもらわなければと思い、いいも悪いも皆受けていったのです。

 生きるということは大変なことです。
大病をする。
経済でも大変な目に合っている。
人間関係でもつらい思いをしている。
仕事もつらい。
だけど、生活のために辞めるわけにはいかない。
そういうことに直面した時に、生きるということの限界、自分の力の限界を感じます。
そこで、初めて死というものを意識し、こういう思いで死んでも助からないだろうなと思います。

 生きているから、問題が起きるのであり、生きるということと、死はかかわりがあると思います。
「死んでもままよ」と教えがありますがこういうことをいうのだと思います。
また、年を重ねていくとどうしても、死ということを考えるようになります。
そこで、生きることの尊さを感じるのではないですか。

 生きることは神様が思うようになさっているのですから、神様の願いに添って生きていけば、「幸せ」になれるわけです。
神様の願いは何かと言えば、『清も濁も合わせて呑みなさい。
プラスもマイナスもあるぞ、神がバランスよくしてやっておるぞ、それをありがたく受けていきなさい。』と言われているのです。
そして、神様はみんなを喜ばすことをしていれば、自分の願っていることはちゃんと聞いて下さっているはずです。
ですから、皆様も家族を「幸せ」にして頂こうと思ったら、まず自分の手元からやっていくことです。
手元が面白くなかったり、おろそかになったりすると、神様は嘆かれます。
神様がお喜びになるおかげで「幸せ」を招いて下さるのです。
御都合御繰り合わせですね。

 どうか、自分で生きようとする思いを少しでも直して頂き、清らかな、爽やかな心で神様に向かわせて頂く事が大事だと思います。

 (親先生のお話より)

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