「神一重」  2013. 08.01

  毎月一日は大先生のお日柄日と御先祖様の日ですから、祖先賛詞をあげて、御先祖様の助かりと、大先生の御霊様がご比礼をいただいてくださいますよう、神様から益々しっかり大きなお働きをいただかれますようにと祈らせていただきます。
大先生がお力をいただかれることで、私たちにあの世からお取次くださり、いろんな形で助けてくださいます。
教会の営みだけでなく、皆様方のそれぞれの生活の上にもお導きくださり、ふと気付かせてくださるわけです。
それがすごいです。

 お参りが遠のいていきますと、お祭りにもだんだんとあわれなくなり、ふと思うことがなくなります。
それが恐ろしいです。人のことばかり気がついて、自分のことに気がつかなくなるのです。
ふと気付くということは心の中の神様が出てくださるということですが、こうしてお参りされてお祭りを頂かれたり、普段から教えを聴いているから心の神様が出てくださるのです。
心の神様が出ると気持ちがいいです。
病気の方は気分が良くなりますし、元気な方は一層元気が出ます。
しかし「わしが」という我が出ると気分が疲れ、人のことが気になるようになります。
自分でやろうと思ってまた苦しくなり、人を責めるという悪循環が続きます。

 だからこうしてお祭りに合われるのは大事ですが、霊祭はもっと大事です。
御先祖様に心を馳せて、今日まで子孫が元気でやらせていただいたことのお礼と、神様のお力を頂いて御霊様の一層の助かりを願っていくことが肝要です。

 では、お参りしていれば何も無いかというと、そんなことはありません。
病気やケガなど、いろんな難があります。
しかしそれを以って喜んでいればいいのです。
そうすれば必ず神様は繋げてくださいます。
悪いものを取ってくださり、大病するよりもケガだけで済ませてくださいます。
信心しているのになぜそんなことがあるのかというと、私たちは生身の身体だからです。
縦横高さの物質世界にいるからです。
しかし信心していけば大難を小難に振り替えて、私どもも御先祖様も助けていただけます。

 先代先生曰く、「祈っても兆しがよくならんのは、御先祖様が助かりつつあるんだということと、もうひとつはお取次が骨折っておられるのだ」ということですから、それを信じて辛抱していかれたら、またいいほうに向けてくださいます。

 努力してもうまくいかないこともあります。
だから、信心をさせてもらうことで歯車が回るようになります。
完璧にやっていても、いよいよのところは神様がついてくださらなかったら私どもはどうにもならないのです。

 紙一重でうまくいかないこともあります。
普通は「紙一重」ですが、本当に「神一重」です。
それでお繰り合わせいただけることがあります。
努力を目一杯やっていくことが私どもの実意であり、教祖様の表してくださった信心だと思います。
やってみてください。
そしたら神様は兆しをくださると思います。
自力は目一杯、後は他力にお任せするという自他力の道を進んでまいりましょう。


 (親先生のお話より)