「不 浄」  2013. 07.01

  金光教で一番大事なところは、「忌み汚れ」を言わないということです。
我情我欲で勝手なことをすることが一番ご無礼なのです。
神様の働きを無視した、人間のお粗末な思いが「不浄」なのです。

 この天地には汚いものはありません。
地球でも、捨てたものを浄化してくださるでしょう。
すごいと思います。
看板を長い間、太陽にさらしておきますと、ペンキが蒸発して白くなってきます。
太陽には、漂白する力があるわけです。
浄化するんです。
それから、岩とか、断崖絶壁などでも、長い年月の間に風化され、形が変わってきます。
私たちが生きている間ではわかりませんが、千年、万年単位では、陸地と海岸線の形は変わってくると思います。
そういう歴史の中で、私たちは二千年の歴史を頂いている、ということだけです。

 自然の力はすごいです。
天地の力はすごいことです。
どうぞ見くびらないようにして下さい。
そういう思いが不浄な思いということになるのでしょう。
ご無礼な思い、ということになるのだと思います。
私たちがなんでもできると思ったら大間違いです。
ちょっと天地が味方してくれなかったら、どうにもなりません。
何かするにしても、体の調子が悪かったらだめですからね。
今日の皆さんのお参りにしても、正しく判断ができて、こうしてここへお引き寄せ頂かれ、時間がきたら帰られる。
しかし、これが何かが狂えばできません。
今日も引き寄せて下さるために、私たちの気がつかないうちに、神様が相当働いて下さっているわけです。
神様が引き寄せて下さったのだから大丈夫です。
神様は大変な力があるのですから。
私共は、この命を頂いている神様に助けて頂くしかないのです。

 玉水の大先生は、「私が死んだら、これから真の信心をしてくれよ。」と仰ったそうです。
これはどういう意味かというと、皆さん各々がしっかり、神様を頂いてくれよ、ということだと思います。
神様の思し召しに沿った生き方をして下さい。
そうすれば、いくらでも大きな力を頂く事ができますよ。
神様を味方につけなさいということです。

 お祭りにあって、大麻で祓って頂きますが、これは清めて頂いたという気持ちで、心を改めなさいということです。
それぞれの家庭に帰って、雑念を払ってやり直しなさいということです。
我情我欲の思いを新たにすることが大事なのです。

 (教会長先生のお話より)