「神様は命」  2013. 06.01

 今日もある方が「子どもたちに信心をしてほしいけど、うちの若い者は夜遅くまで仕事してます」とお届けをされました。
でも休みの日はあるし、寝る時間もある訳ですから、その事を思えば、命を頂いているから忙しいと言えるのです。

 血を分けた子だから難しい面もあるでしょうが、信心の継承が自然にできればいいですね。
それには親が信心を頂いてその生活ぶりを見せることが必要だと思います。
小さい時からお神酒さんを塗ったり、ご神米をあげたり手を合わせることを教えてあげていると、違和感無く信心が入っていくんじゃないかと思います。
それを宗教情操といいます。
早い時期に教会に慣れといて頂くと、反抗期で何も嫌いじゃ嫌じゃという時もあるけど、ふとまた神様に心を向けてくれることも出てくると思います。

 しかし全く教会にご縁がなかったら絶対にそういう考えも浮かんで来ないでしょう。
よっぽど酷い目にあってからでは遅いから、早い時に情操教育、神仏に手を合わせるということを教えていかなければなりません。
それと同時に親孝行を伝えていけば、結局は皆様が得をすることになるのです。
しかし、その際にもご無礼とか、あれをしたらだめ、これをしたらだめと言ってはいけません。
それより仲良くすること、親子の絆をしっかりして神様に喜んでもらうこと、そして子どもたちの信頼を得ていくことが大事です。
子供たちが合わせてくれないのではなく、こっちが合わせていくんです。
「あいよかけよ」という言葉がありますが、共々に助け合っていくのです。
こっちから誠意を持って子どもたちに接して、宗教情操をしてください。

 教会ではどうして信心が要るのか、ということをお話していますから、家庭での情操教育の際にはそれをしっかり説明してあげてください。

 では信心すればどうなるか。
助かるんです。
無限なる神様とひとつになれること、それが醍醐味です。
そこには色んな生きる修行があります。
金光教の修行はお参りですから、足を運ぶことが基本です。
大地を踏みしめてお参りをして、体力・気力・魂の力を頂かなければなりません。
もちろん、数参ったほうがお徳をたくさん頂けます。
その代わり体力と時間のご都合が必要ですが、その分は全部神様が良いようにしてくださいます。

 お参りするにも身体のこと、家族のこと、仕事のこと、車の都合、みなお繰り合わせを頂かなければ参ることができません。
今日お参りできたのも既におかげを頂いているからです。
だから自分は不幸だとか言わないようにしてください。
お参りができるということは、命があるということ。
神様が命をくださっているのですから不幸はありません。
たとえ逆境に置かれたとしても、その裏には神様の大きな恵みが潜んでおり、それを信じていれば必ずおかげをくださいます。

 しかし私どもはありがたいと口ばっかりで、腹の中では不足がこびりついているので、なかなかおかげが頂けないのだと思います。
ちょっと物事がうまくいかないとすぐ不足が出てきます。
「いけなー、いけなー」の口癖を止めないといけませんね。
「いける、いける」ですよ。
年を取ったから「いけなー」ではなく、年を取ったからいけるんです。
ここまで年を過ごさせていただいたのですから。


 (教会長先生のお話より)