「霊祭について」 2013. 03.01 |
毎年三月十二日には春の霊祭を行い、ご先祖様の供養をさせていただいています。 御霊様の中には戦争や病気で食べられずに死んだ方もあります。 金光教では色んな種類のお供え物を吟味して丁寧にお供えして、ご拝詞をあげさせていただくことで、亡くなった方々のご冥福を祈らせていただいています。 中には迷っている御霊様もいます。 迷っているというのは、不慮の事故などで突然亡くなってしまった御霊が、自分は生きていると間違えてさ迷っているということです。 そういった御霊様には、「あなた方は既にこの世を去り肉体が無いのですから、我を張らずに、どうぞ神様の御許に還ってください」、と言って拝詞をあげさせていただきます。 皆さんが真心を込めてあげますと、神様がそれにお応えくださって御霊様の浄化が始まります。 皆さんが正装して快くご祈念をあげると、その真心を受けられて神様がお喜びになり御霊様を浄化してくださいます。 しかし中には頑固な御霊様もいらっしゃいます。 おかげを受けなくてもいいといって、暗いところに隠れてじっとしている為に、神様が清めようにも清められません。 そうした御霊様は、生前に正しい信心をせず人の運命を弄び、人を助けるどころか共に助からない状態になって死んだ人たちです。 このような御霊様が未ださ迷っていて他の御霊様を引っ張るので、私たちのご先祖様もなかなか助からないことになります。 だからこそ、私たちが信心を進めて祈らせていただく中で、神様にご先祖様のことをお願いして、私たちが改まっていかなければならないのです。 改まるとは、神様のおかげ・ご先祖様のおかげで命があることに対してお礼を申し上げるということです。 これが祈りです。 その祈りが強まって迷える御霊様を助けてくださるわけです。 それは時間がかかります。 だから一回ではなく、最低、年に二回供養させていただき、また毎月の月例祭には祖先賛詞をあげて供養しています。 私どものご先祖様が助かってくださったら、その喜びが私たちの生活に現れてきます。 だんだん物が揃ってきて、経済的にも健康の上にも、そして人にも恵まれるようになってくるのです。御霊様の幸せが私たちの幸せなのです。 皆さんが教会に参拝してご拝詞をあげられることで浄化されてご先祖様も助かっていかれるのです。 日によっては声が出る時と出ない時がありますし、あげたくない時もあるかもしれませんが、心からあげさせていただいたら皆さまも気持ちよくならせていただけます。 そしてご先祖様も助かるのです。 先代先生は「祈っても祈っても自分たちの生活がよくならんことがある。なかなか埒があかん、祈っても祈っても辛いことが起こってくる。そういう時はご先祖様が助かってる時だ。」とおっしゃっておられます。 その通りです。 ご先祖様のほうに力を入れて助けてくださっているので、どうぞ皆さん辛抱して祈り続けてください。 それも、仕方なく祈るのではなく、気持ちよく、ありがたく祈ることが大事です。 こうした稽古をさせていただきましょう。 (教会長先生のお話より) |