「己を愛せよ」  2012. 12. 1発行

 私共は、願っても願っても、なかなか思うようにいかない時があります。
そういう時は、神様が「何か気付きなさいよ。あなたは根本的に祈り方、願い方が違うのではないですか。」と仰っているのだと思います。
お願いするといっても、お願いする前に、やはり教えを聞いて、自分自身が自分を愛さなくてはならないと思うのです。

 育ってこられた環境によって、自分自身を本当に愛せる人と愛せない人があります。
親の虐待を受けた人は、大きくなってまた、我が子を虐待するらしいです。
こわいことです。
とにかく、自分を愛せない。
自分の性格が大嫌いという人がいますが、それがいけないのです。
自分の性格を受け入れなくてはいけません。

 これは、信心する上で大事なことだと思います。
信心するとは、どういうことなのでしょうか。
それは、氏子である事を悟ることだと思います。
自分は神の子である。
皆、それぞれお役に立って、どんな人でも命を頂き、尊いわけです。
神様から頂いたその命を大事にして、生かせばいいわけです。
自分が嫌いだったらいけないのです。
こんな自分でも、また嫌だ、嫌だと思う性格でも神様が下さったものです。
うまく、人を生かす、喜ばすことに自分を使われてはどうでしょうか。

 特に、暗い方は駄目ですよ。
ねくらの方は、明るくなる稽古をして下さい。
どうすればいいか。
それは己を愛することです。
暗い性格を自覚されて、暗いながらも神様から頂いた体だと思って、喜ぶ稽古をしていかなければならないと思います。
好きになれないかもしれませんが、神様の氏子として稽古することです。

 親からたくさん愛を受けた人は、知らないうちに自分を愛せるのです。
これは理屈ではありません。
逆に、親の嫉妬とか、叱りをいっぱい受けた人は、自分を愛せないようです。
皆さん、「だめな子じゃねー。」と言ったことありますか。
冗談でも言ってはいけませんよ。
言われた方は、神様によくお詫びして、これからは言わないようにしてください。
自分に仕打ちが返ってきます。
我が子を愛さなかったら、子供さんも愛してくれません。
厳しいですよ。

 また、自分のことを愛せるようになれば、他人のことを悪く言わなくなります。
人のことが羨ましいとか、嫉妬などがなくなります。
皆、同じ神の子なのだからと思い、人を責めなくなります。
神様は、平等に魂を下さっています。
何ひとつ差はありません。
そう思って嫌いな人、都合の悪い人に対して拝んでいく稽古をしてください。
なかなか素直に思えませんが、少しずつでもやっていけば、それが自分を愛していくことにつながるのです。

(親先生のお話より)