「自他を生かす」  2012. 11. 1発行

 人間の力はわずかな力でも真心で一生懸命求めていけば、必ず神様が応えてくださいます。
神様は絶対です。
足らなくても神様におすがりしていけばいいのですが、それにはコツがあります。

 それは人の為、人の喜ぶことをすることです。
人に楽になってもらいたい、もっとお役に立ちたい。
自分のことは置いといて、家族に幸せになってもらう。
うれしい時だけじゃなく悪い時も苦労を皆で分け合って支え合っていく。
家庭のことでも皆が良くなるよう喜び合えるよう、お役に立てれば良いんです。

 おかげ頂けないのはどうしてか。
それは自分の事で考えているから。
本当にその人のことを思ってあげたら、自分のことはほっといても楽になるのです。

 先代先生は「『人を助けて我が助かる道』と教祖様がそう言われた」とおっしゃっておられます。
自分が先に楽になって人を助ける。
それは逆。先に人を助けて喜んでもらう。
自分は足らないけど、人に喜んでもらうことを一生懸命やらせてもらうのです。

 まず真実を良く見て、自分が言っている事が本当のことなのかどうか。
真実かどうか、よーく見てください。
そして、人の喜ぶことになっているかどうか。
それが皆のお役に立つことになっているだろうかと考えてみることです。

 私共はまあ、自分勝手なもんです。
神様はおかげをあげたくても私達に器が無いから入れてもらえない。
おかげが無い無い言うのはもらう気が無い。
それは器を伏せているようなもので、おかげは入って来ない。
その器をひっくり返すのは「人を助けて」ということです。

 まず信心をなさる方は「私が一番幸せだ」と思って。
そう思うんですよ。
それが一番助かることです。
なんでかと言うと、神様のもとへ参らせてもらって、神様に可愛がってもらえる。
だから私の周りには不幸は無い。
必ず幸せにして下さるのです。

 「だけど物が揃うとらん…。」それは揃ってないだけです。
揃ってきます。
ありがとうございますと言っていれば、そう思っていれば良いんです。

 先代先生が言われるように「人を拝んだら変わる」。
変わるんです。
こっちも変わらせてもらう。
それは、そういうパワーが宇宙にあるんです。
生命を拝めば生命に恵まれるんです。
生かそうとするパワーを拝めば生かしてくださる。
それを、死なすようなパワーを出すからいけないのです。

 「ありがとうございます」というのは生かすパワーです。
高須教会の皆さんが「ありがとうございます」と言われたら、ぱーっとその思いがこの辺りに大きな力になって、この地域がまた良くなっていくんです。
そして教会が益々助かる教会になる。

 それが皆が「いけなあ」言うとったら「いけなあ」になる。
皆が喜ばせてもらわないと。
先ず喜ばせてもらう。
一つ一つ喜びを重ねていく。
そうすると喜びの基礎ができますから、ぜんぜん壊れない。

 先代先生が言われる『おかげいらん言うても、おかげになるんじゃ。』というあれです。

(親先生のお話より)