「大生命」  2012. 9. 1発行

 
 私たちは、天地の働きに対して何もできません。
天地に置いて頂いているわけで、つまり居候でございます。
この地球がちゃんと正常に自転して、太陽のまわりを回ってくれるということは、大変なことだと思います。
大きな地球が、海の水をかかえこんで外にあふれ出さないように、重力で引っ張って、そして、きちっと地球自体が生きている。
その上に、私どもは置いて頂いているのです。
この地球の働きが神様の働きであり、その中で、私どもは何でも生かして頂かなくてはなりません。
そこにおすがりしていく。
それが、信心の原点といえるでしょう。

 だから、自分の思い通りにして下さると思ったら間違いだと思います。
時には、思い通りにして下さるかもしれません。
でも、私共の思うようになっていたら、まあ、ろくなことにならないと思います。

 私達は自分勝手なことが多いですよ。
自分の目先のことだけ考えて、おかげ頂きたいと言っておられることが多いです。
「思うようにならん、ならん。」と言っていて、ふと気がついた時には、「本当のおかげを頂いていた。」ということがよくあります。
あとで考えてみて「ああ、あれもおかげだった。これもおかげだった。」というふうに、気がつかせて頂けるようになったら、もう、真の信心をさせてもらっているということです。

 ありがたいことに、皆さんは、「ならん、ならん。」と言いながら、ここまで越えさせて頂き、人間関係の上にまでなんとかさせていただいています。
やっぱり、すごいと思います。
そして、生きる力を神様からもらわなくてはいけませんね。
それは、言葉ではあらわせません。

 だから、お参りしてもらうんです。
それしかないですね。
まず第一に、私たちのできることは、足を運ぶことです。
「神様をいつも思っております。」と言っても、体で示さなければわからないのです。
どれだけ思っているか。
教会まで、暑い中、寒い中、また雨、嵐の中、お参りする。
その姿を神様が見て下さって、「ああ、やる気になっているな」と、とって下さる。
お参りすることがまごころでしょう。
そして、お参りして聞いたこと、神様に喜んでもらうことを一生懸命に努力させてもらうことです。
天地にさからってはいけません。
喜んで頂けるよう、天地が働きやすいように、私共が一生懸命に体を動かしていくことです。
そうすれば、自然に信心になりますからね。
天地の喜ぶこと、天地に嫌われないことをしなければなりません。

 それは、生かされていることを喜ぶことです。
「天地の親神様、天地の大生命様。あなたの生命を分けて頂き、ありがとうございます。生きているからこそ、苦しい。ありがたい。つらい。いろんなことがある。生命がなかったら、なんにもなりません。ありがとうございます。」とお礼申し上げるしかありません。
何でも、それでいけばいいのです。
神様のご恩を忘れないように、先代先生のご恩を忘れないように、本当に心から、お礼を言わせてもらえるようになったら、おかげは頂けるようになると思います。




(親先生のお話より)

教話:高須教会長 安部孝次郎先生