「宗教的経営学」  2012. 8. 1発行

 おかげはどこから流れてくるのでしょうか?

 皆様全員のお宅が、家族全員信心をされているわけではありません。
しかし、代々信心が続いていくようなおかげを頂いて欲しいと思います。
代々続けば必ず良い夢を見せていただけます。

 安部家は教会ですから、いやが応でも信心を続けていかなければなりません。
しかし、そのおかげで徳を積ませていただけています。ありがたいことです。

 だからこの根本を忘れたらおおごとです。
「命が惜しいから」といって信心をしないようではいけません。
信心するから命も生きてくるわけですから。

 いろいろな教祖の教えがあります、先代先生からの教えもあります。
これをきちんと守っていれば、必ずおかげを頂けます。
長いみ教えでなくとも、先生のお言葉たった一言でもいい。
いけんと言われることをしないように、やるべきこと、喜ばれることをやっていたらいいのです。

 それでもいろいろな課題があります。
生身の人間だから仕方がありませんが、だからこそ信心を離さずおかげを受けていかなければなりません。
これは安部家も皆さんも同じです。
私たちには、もともとお徳は無いのです。

 「一寸先は闇」、何としてもお徳を頂かなければなりません。
そのために必要なのが「宗教的経営学」です。
これをモットーに実践していけば「超大徳」を頂けます。

 玉水初代大先生がおっしゃった言葉に「鈍・根・運」というのがあります。
「私みたいな鈍な、つまらない者が、一生懸命…せめてただ一生懸命にと、根気をもって頑張らしていただいたら、やがて運がまわってきた」と玉水初代大先生は仰られています。
決して、運がついていなければ何も出来ない訳ではない、運が無いからお引き寄せいただいているのです。

 各々が問題を抱えています。
特に初代の方ほど多くの問題があるので信心を始められたのですが、二代目、三代目になるとそういう難儀が分からなくなります。
そうすると継承が難しくなってきます。

 特に若い人は経験が少なく分からないことが多いので、一人で大きくなったような気で偉そうにしています。
しかしこれも社会・人間のルールを教えていない親のわたしたちがいけないのです。
競争社会に勝つことばかりを教え込み、対話が持たれないから行動も出来ていない。
親の言うことを聞かぬ子は、刺し違えてもいいというくらいに気合で教え込まなければなりません。

 だから皆さんがここに至るまで体験された苦労を子どもたちに話してください。
それが「良い話をしよう」の内容です。
そうして、どうかこの信心が伝わって皆さんが共々に幸せに立ち行きますように、神様のおかげが浸透していきますように、良い話をして、神様からの尽きぬおかげを頂いていきますように。
そして頂いた喜びをお礼として体で表していきましょう。

 金光教は「金光る宗教」です。
宗教的経営学をしっかり勉強して、生活全般に渡って信心的生き方をしていれば、自然におかげがいただけるようになります。

(親先生のお話より)

教話:高須教会長 安部孝次郎先生