「どう祈る?」   2011.12. 1発行

 「朔日(ついたち)は晦日(みそか)の始めなり」という言葉があります。
月末には支払いがあり、済んだらまた朔日が来て、月末の支払いのことなど忘れてしまうものです。
しかし、月末の辛い思いを忘れず、毎日取り組んでいくと、気持ちがシャキッとします。
だからこそ『祈れ、祈れ』という言葉があるわけですが、中には毎日願っていたら身体がえらくて、緊張して病気にならないだろうか、という人がいます。
確かに、祈っていても病気になることはありますが、それを越えたら祈ることが常になります。
ではどのように祈るかというと、これは経済のお繰り合わせをお願いするしかありません。
支払いができるように、無駄なところに力を入れないようにしなければなりません。
要るものは要りますから。

 祈るということは、自分が意識している思いと無意識の思いがあるのですが、その後者、潜在意識に働きかけることがものすごく大事なのです。
しかし潜在意識はなかなか動きません。
頑固な人なら尚更ですから、頑固だという人は、絶対に自分を許さず、祈り続けてください。
要るだけくださいとお願いしてください。

 商売する時は、実意を持ち、ありがとうございますと言って売ってください。
最初は疲れますが、やっていくうちにそういう生活に慣れ、そうすると段々廻り出します。
それはいつになるか分かりませんが、やるしかないのです。
姑息な手段を使おうとするとそっちに力が入り、商売のほうに身が入らなくなりますから、なんとか本職で廻してもらえるように頑張らなければなりません。
そのためには色んな工夫をすること、そして明るい前向きな心が必要です。
人を責めない、人を利用しない、恩をきせない、愚痴や不足を言わないことです。
辛くとも、その努力をしなければいけません。

 私たちにできないことはありません。
私たちは有限ですが、神様は無限ですから、なんとでもしてくださる。
たとえ借金をしても、命までとられることはありません。
家財道具一式を持って行かれても、それは身から出た錆であって、自分がそうしたのです。
そうしないと分からないから、神様が分からせるためにそうしてくださったのだと思って、やっていかなければなりません。
意志の弱い方はあえて借金をして、その借金を重しにして己を追い詰めて、これがオカゲのもとだと思って、前向きに頑張ってください。

 借金をしないためにはお金を使わなければいいのですが、それも辛いことです。
ならば使ったような気になる稽古をすればいいのです。
そのような工夫をしてください。
贅沢をしそうになったら、それに値するだけの自分であるかどうか、よく考えてください。
神様にお願いしていれば、要るものは必ずくださいますから。

 そして病気の方はしっかりお礼を申してください。
何事も命あってのことです。
痛くても、辛くても「ありがとうございます」でやっていきましょう。

(親先生のお話より)