「信心に不可なし」   2011.10. 1発行

 私共は「神様を絶対離せないのだ。」という気になったら、頂くおかげも随分違いますが、そこまでいくのに随分ひまがかかります。
「神様がおられるのなら、いいようにして下さるだろう。」と、そこで止まってしまいます。それではいけません。
いよいよのところは「実践」です。
お願い申し、お任せをする。これしかない。
この作業がいる訳です。

 例えば、雑草が生えておれば抜くこと。
見ているだけでは雑草は抜けません。
「どう抜けばいいのか。」「こういうふうに抜けばいいのか。」と、思案していただけでは草は抜けません。
要するに、雑草をサッサと抜けば、きれいになる訳です。
商売で言えば、売ること。
いくら理屈を言っても、売らないことには儲からないでしょう。
そういう作業をすることが、必要なのです。
それをお任せして出来るかどうか。
ここが大変重要なところです。

 「我が力ですると思うな」で、神様に願ってお任せすること。
これが万事に大切なことで、私共の日々の稽古の目標です。
おかげを頂きたいと願ったら「もう駄目」と思わないこと。
どんなおかげでも頂けます。
諦めては駄目、私共の辞書には「不可能」という事はありません。
お願いし一心にお縋りしていたら、どんな事も叶えて頂けます。

 お願い申し、お任せするという作業は、あまり考えずにすることです。
お参りにしても、いろいろ考えていたら、やっておれません。
お互いに毎日忙しいのですから、日参についても信心の浅い人は「日参なんか、ようしません。」と思われるでしょう。
しかし、お参りが習慣になると、おかげが目に見えて頂けます。
「日に日に生きるが信心なり」ですから、いろいろと分からせて頂くようになって、日参も苦にならなくなります。
こうして沢山お参りすればするほど、沢山おかげが頂けます。
ドカーンと大きなおかげも頂けるし、細切れの小さいおかげも頂けます。

 そして、辛いことでも楽に出来るようになります。
現象にとらわれなくなり辛抱出来るようになります。
「神徳を頂く」という事です。信心辛抱していると、ご神徳が見えるようになり、信心を重ねた宝の山のおかげが見えるようになりますから、頑張って稽古をして下さい。
すると、やる気がもっと出て、願わずにはおれなくなります。

 先代先生は、「壁にボールを打ちつけてみなさい。」とおっしやっています。
私共は強く打ちつけているでしょうか。
的からはずれた所に、弱々しく投げたのでは、ボールは返って来ないでしよう。
私共は、強くしっかり打ちつけて、しっかり返ってくるように。
そういうおかげを蒙らせて頂きましよう。

(親先生のお話より)