「神情に生きる」   2011.8. 1発行

 「人情に死して、神情に生きる」。
これはなかなか大変なことで、どうしても人情に流されてしまいます。

 他人にとやかく言うことはできても、自分のことは見えておらず、ついやりすぎて、要らんことにまで力が入ってしまう。
やはり自然にいくのが一番です。
メグリをとってもらうのも、神様にお任せして御時節を待つほかないのです。
メグリが出た時は何をしても駄目。その時は焦らずやるべきことをしっかりやっておくことが肝要です。

 先代先生は『人のために何か一生懸命やってあげても、仇で返されることがある。
親切にしすぎて甘えられて、結局はオカゲを頂けないことがある。
だからオカゲを頂いてもらうためには、それ以上してはいかんこともあるのだ。』と、お話されています。

 しかし、今は恵まれた時代です。
それ故に生じる弊害はとても大きなものです。
便利すぎて人間が助からないのです。
結構の結構知らず、今、全てに当てはまることです。
だからこそ信心が要る。人情を超えて神情に生きなければなりません。
そして日に日に新たに、改まることが大事なのです。

 人情を殺して神情に生きることは大変高度な信心です。
それでもその稽古をすることでオカゲになるのです。

 子孫繁盛、家繁盛のオカゲを頂いてもらわないといけません。
でなければ人が育ちません。
どんな良い家庭でも、人間が育たなければ駄目になります。
メグリのある家は没落していきます。
だから、自分の家はどんなものか、早く気付いていかないといけない。
周囲の人は言ってくれません。
でも教会では言いますよ。
下り坂になってもらってはいけませんから。
上り坂に、せめてまっすぐになってもらわないといけません。

 どんなに親の代にオカゲを頂いても、子どもたちにその自覚が無かったら人間が育ちません。
だから信心を伝えなさいと言うのです。
それなのに、「オカゲをもらえたらそれでいい」とか「自分たちの苦労話をするのは恥ずかしい」といって伝えない。

祈りに支えてもらっているのに、こちらから信じなければ祈りが切れます。
お取次のオカゲを、子どもたち共々に頂いてもらって、運命を変えてもらうために信心しているのです。

 日々、戦いです。
先々何が起こるか分からないから、先手を打ってちょうどいい。
後をちゃんとしておけば、オカゲは流れていきます。
自分ではできませんから、よくお願いして取り組ませて頂きましょう。

(親先生のお話より)