「神の演出」   2011.7. 1発行

 神様は演出家で、私共をお使いになって、この世をお作り下さっているんだという風に考えると、いま自分が置かれている境遇、自分の境遇が嫌な方も多いわけです。
大体、みんな好きじゃないと思います。
いま置かれている境遇に対して「なんで私は、こういう風にここに住み、こういう名前で、こういう風に生きているんだろうか。」と思われていると思います。
問題があれば特にそうです。
「楽な所に逃げたい。」という気もありますが、どこへ行っても境遇というのは、ついて回るんじゃないですか?

 いくら外側を変えたとしても、中身が変わらないといけないと思います。
そこに教祖様がおっしゃる「おかげは和賀心にあり」というみ教えがあるんじゃないですか。

 自分の思っていることを、自分自身が現している。
良い事も悪い事もそうですが、悪い事の方は自分自身の心の整理がちゃんとついておらず、潜在意識があまりいい思いでない。
がんぱろうという気持ちはあるんですが、本音を見てみると「わしゃ、こんなもんじゃろう。」と思っている。

 先代先生も言っておられますが、思いっきりボールを壁に打ちつけたら、思いっきり返ってくる。
それが大事なんです。
祈る時はしっかり祈る。
「大丈夫かな。」と思って祈ったらダメです。

 今、私たちがこんな状態で苦しんでいるのを神様は望んでおられないわけです。
幸せになることを望んでおられる。
「私が親であるぞ。」と言っておられる。
それなのに、「勝手に心配します。」と言っているようなものです。
その繰り返しをやっている。

 親様がこうして生かして下さり、家に帰れば、家族の顔を見させてもらえる。
お友達もおるし、なんだかんだ言っても生かしてもらっている。
この歳まで生かしてもらった。今年も半分過ぎましたが、なみなみならん所をこさせてもらっているのです。

 ですから、自分の役割というものを考えてみますと、神様が私共に演出して下さっているというのは、「なんとかして分からしてやろう。」という神様の願いがあるからです。

 天災地変や気候の変化も神様の演出です。
これによっても、私共は生かされていることが分かります。
ですから、なんでもそういうところを見直させて頂き、家族が命を頂いていること、今年もここまで無事にこれたことをしっかり喜ばせて頂いたら元気が出ます。

 どうぞ、それを元に、今日もいろんな事を願って頂きたい。
一心になって、信心辛抱、どんなことがあっても生きていて頂きたいと思います。

(親先生のお話より)