玉木の初代大先生は、「鈍・根・運」と表現されています。
「私みたいな鈍な足らない者が、一生懸命、ただただ一生懸命に根気を持って頑張らせて頂いていたら、やがて運が廻ってきました。」とおっしゃっています。
「運・鈍・根」ではないですよ。
運がついてなくても、何もできないということはない。
こうして、教会にお引きよせを頂いている者は運がついていない者が多いのです。
みんないろいろ問題を抱えています。
特に信心初代の人達はそれぞれに問題を抱えています。
病気であったり、経済であったり、難病とか事故とか、夜逃げをしなくてはならないような目に逢ってみて、立ち行かなくなって、信心を始められたような人が多いです。
でも、二代目、三代目はそういう難儀が分かっていない。
初代のような苦しみは分からないから、信心の継承が難しいのです。
だから皆さんは、いろいろ体験された話を子供さんたちに話してください。
「今はこういう生活ができているが、ここまで来るには大変だったんだよ。」と伝えてください。
これが「良い話をしよう」の運動です。
私は「どうかこの信心が伝わって、皆さんが共々に幸せに立ち行きますように。
そして、神様のおかげが浸透してゆきますように。」と願っております。
神様からの尽きぬおかげを頂き、そして頂いた喜びをお礼として、体で現わしていくように。
そのことが「良い話をしよう」ということだと思います。
自分がありがたいと感じる喜びを、我が生活の上に現わして行く。
少々、辛くても「ありがたい」という感謝の気持ちを現し続けていくことが大切です。
若い人は、経験が少ないから分からないことが多いです。
それなのに、一人で大きくなったような気分で偉そうにしているんですから、ひどい姿ですね。
でも、こんなことになるのは、親の私達が子供をきちんと躾けていないからですよ。
社会のルールとか人間のルールとか、つまり人間として踏むべき道を教えていないから、こうなるのです。
「対話の時」が持たれていないからなのでしょう。
言うこと聞かぬ子は、親は「子と刺し違えてもいい。」ぐらいの気分で教え込んでやるのがいいと思いますね。
自分の育て方に問題があったのだから、そんな気持ちで子供にも対面するようにしていたら、何も恐ろしいものはないでしょう。
一日一日が真剣勝負です。
こうして、親の気持ちを子供が分かってくれるようになったら「親」を卒業です。
だから、皆さんも我が子が良い子育てをし、子孫繁昌、家繁昌となり、信心継承ができ、その様子を自分の目で見て安心ができたら、やっと「親行」も完成です。
そこまで進まないと私達の親としての御用はまだまだ終わりません。
そこを目標にして毎日毎日、繰り返しお参りをし、お話しを聞き、そして教えがしみ込んでくるように、実践してください。
要するに「やるか、やらんか」の差です。
「勇気・活気・根気」をもって頑張ってください。
私達にはそういう力を神様から頂いているのですから。
よくお願いし、祈って実行させて頂きましょう。
(親先生のお話より)
|