「命の神、命の教え」   2011.5. 1発行

 皆さんの中には○○教という言葉に抵抗がある人もいるでしょう。
このお道は、教祖様が、天地宇宙の頂点におられた偉大なるお方に出逢われて出来た道だと私は思います。
ですから、○○教という言葉にこだわる必要はないと思います。
「キリストも釈迦も神の氏子じゃ」と言われていますね。
教祖様は決して、私の神様が一番だとか、そんなお気持ちはなく、私共は全て神の氏子という事に気づいて欲しいと申されているのです。

 だから、このお道は偉大なるお道だと思います。
皆さん方も、もっとしっかりと天地の宗旨だと信じて、もっと本気で家族に現わし伝えていく事が必要だと思います。
しかし、神様が偉大すぎて、私共が神様を小さくし、○○教という言葉にこだわってしまいます。

 先代先生が、家内や姉たちが幼いころに「あんたらは神様を信じられるか。」と、聞かれたそうです。
家内や姉たちが「はい。」と答えると、「あんたらは幸せじゃなあ。私は二十歳になり死にかけて、やっと神様がわからせて頂いた。
しかし、あんたらは、子供の頃から神様がわからせて頂いておる。」と。
このお道の信心は生きた信心ですから、何も教えてもらってなくても、先代ご夫妻の生きられた姿を見ながら育った家内や姉たちは、ちゃんと神様がわかっておった訳ですね。
まさに生活即信心です。私共も同じで、別に教えて頂かなくても気がつけぱいい訳なのです。

 人間は本来、自分の力で生きているのではなく、生かされて生きている自分なのだ、ということに気がつけばいいのです。
この世の中に在るもの全てが無尽蔵の資源から出来たものなのです。
しかし、いくら無尽蔵といいましても、科学の進歩に伴い、無尽蔵では無くなってきたようです。
空気でも何でも、使い放題ではいけません。
どんな大きな星でも死ぬ時が来る。
星にも生命があり、地球も太陽も生きているのです。
宇宙は何億年という単位ですから、少々の事のように思えますが、理屈を言うのは止めて、まず偉大なるお方を信じて下さい。

 私共の全てが神様から与えられているものなのです。
おかげも与えられているもの。
ここに気づけば、人間生活の諸々のしがらみから抜け出て何か無重力のところに入っていくような気がしませんか。
次元の違う所に入れてもらえるような気がしてくると有り難いですよ。

 教会としては、本当の金光教の教えをしっかりとわかって下さる人が一人でも多くなり、大勢の人が信心して下さること。
神様がわかって頂ける人が増えるようにすることが御用だと思っています。

 この信心集団のレベルが上がれば、大変なおかげを頂いていくことが出来ると思います。
勿体ないなあと思えるようなおかげを頂いて欲しい。
これが教会の願いです。

日々いろいろ感じさせて頂いて神様の懐に抱かれ、宇宙空間に生かされている事に気づいて下さい。

(親先生のお話より)