「不幸もチャンス」   2011. 3. 1発行

 玉水の大先生は大病を機縁として信心の道に足を入れられました。
これが今日の玉木教会、銀座教会、三軒家教会、高須教会に連なり広がり、続いております。

 こうしてみると、少々のことであっても、末々に対しては大きい影響を持って開いて行くものです。
ですから、皆さんもご家族に対して信心を伝えていかれましたら、もっと良い結果になり、家繁昌となりますよ。

 お道の信心は無理がありません。
それは、強制がないからです。
しかし、逆にいえば、とてもむずかしいのです。
高須教会でも、 「参って下さい。」とか、『お祭りがありますよ。』とは言いません。

 皆さんが我が身から進んで教会に参ってくださることが大切なのです。
皆さんの信心への取り組み方が問題なのです。
誰でも、良いことばかりが続いていると、油断してしまい、お参りする気分が薄れてきます。
このあたりが難しいところです。

 教祖様は「難はみかげの始めなり」と仰っていますが、何かことがあるほうがお参りし易いようです。
だから「不幸もおかげのうち」なんですよ。

 大先生も不幸な方でした。先代先生も生まれて早々に、父親に死に別れられ不幸な運命の方でした。
また、親奥様も病弱の塊のような方でした。
しかし、この不幸が「災い転じて福となす」でおかげを頂かれ、今日になっているのです。
ですから、皆さんもご家族に不幸があっても、怖れることはありません。
「これは幸福になるチャンスだ。」と思い、信心を伝えてください。

 しかしながら、皆さん方は自分の家族のこととなると、甘く見てしまいがちになるようです。
かぱってしまう訳です。
「うちは大丈夫だ。」と思ってしまい、「お参りさせなさいよ。」と言っても返事がない。

 そういう時は、早速「はい、お参りさせてください。」と神様にお願いされたらいいのに、そうは言われない。
ひどい事です。
どうか信心継承を願われ、家族揃って信心のおかげを頂いてほしいものです。

 一代限りで終わってしまうのではなく、細々でも続いていると、今後には花の咲く時がきます。
長年お参りして養ってきた神徳がいつかは、バッと咲き出しますからね。
つらい所を何とか乗り越え、続けていってほしいです。
日々、お参りを続けて来られた方は強いです。

 「この道ひとすじで来た。」という人は神様に支えて頂き、しっかり、引っ張って頂いたからこそ出来たことです。
その神様のお働きをどこまで、ありがたく受けさせて頂いているか、それによって、神様も反応してくださり、縋れぱ、しっかり引っ張ってくださるのです。
そのことを家族にも伝えて頂きたいものです。

(親先生のお話より)