「神の道」   2011. 2. 1発行

 玉木初代大先生が奉公をされた店は大阪の乾物屋さんでした。
この店のご主人は 「遊ぶことが好きで、仕事をするのは嫌い」という人で、儲け以上に使う人でしたから、商売は下向きの一途。
「こんな店に勤めなくても」と、人は思うでしょう。
しかし、大先生は、自分は自分としてのやるべき道があるんだから、雇ってもらった以上は、店主に喜んでもらえるように勤めようと思われたのです。

 こういう考え方が大切なのです。
大先生は、自分の勤務する店の主人がどんな人であろうと、自分は一生懸命に勤められ、腕を磨かれたのです。
そしてお参りをし、立ち行きを願われました。
こうして私共を助けて下さる準備をしておられたのです。
神様は、この湯川安太郎という青年を何とか育てて、しっかりした信念を持たせてやろう。
そして将来は御用に使ってやろう。と、一生懸命に大先生を鍛えておられた訳です。
だから、大先生は「主人を拝め」で、駄目なご主人でも拝んで勤めておられたのです。

 私共は親に対してどうでしょうか。
立派な親なら拝むけれども・・・でしょう。
立派な親や兄弟なら仲良くしようと努力するかもしれませんが、拝むことはなかなか出来ませんね。
しかし、どんな親や兄弟でも親は親。兄弟は兄弟。
その上で親や兄弟に問題があるのなら、それは、今日までのめぐり合わせなんです。
結婚すれば姑や舅が居りますでしょう。
お互いが好きで結婚したと言っても、それはご縁があったからで、そのご縁があった相手の親が現在の自分の親になります。
深いご縁のある人です。

 だからどんな姑も舅も親は親です。
その中に入って自分もその一族になるのですから、お世話になる人です。
といっても、姑、舅にも当たりはずれがあるでしょう。
しかし「私には誰が来ても当たりだ」と、思って下さい。
すると、姑や舅との関係も上手く行きます。

 どんな姑さんや舅さんでも、親の面倒を見させてもらい、喜んでもらえるようにする。
もののわからん親に仕えるのは大変でしょうが、婿や嫁としての務めを全うする。
それが自分に課せられた使命なのです。
天地の道理に合う「神様の道」なのです。
神様がこうして私共を生かして引き廻して下さっているのですから、「親に仕える」そのやり方次第で自分が恵まれ救われてくるのです。

 私共が今やるべき事は、親を大切にすること。
家族の健康を守ること。
こういう思いをもっと深めていき、素直な気持ちで、いかに親を大切に出来るかですね。
親に反対するより、喜んでもらう方が早く幸せになれます。
本当の幸せというものは、「この世に生れてよかった。神様って素晴らしいなあ」と思い、「ありがたいなあ」という安心感や充実感を知ることなのです。

「信心は親孝行するも同じこと」と言われています。
親を離しては幸せにはなれませんから、しっかり親を大切にしてください。

(親先生のお話より)