「成らんところを…」   2010. 12. 1発行

 玉水初代大先生は、生まれながらに父親を亡くされて、幼少の頃から奉公に出られました。
でも、その店は潰れそうになり次の働き先を探された。
ようよう決められて勤められた店も、主人が遊び好きだったので倒産寸前の店。
こういう不運続きで「もう死にたい」と思われた日もあった。大病もなさった。
 こういう不運の連続の中から、信心されるようになられた。この奉公先の店は、とうとう倒産になり店は閉店。大先生は、そういう状態の中で、この店の家族のために
後始末をされたのです。
 これを読まれると、皆さんも大先生のご性格が分かるでしょう。
大先生は一旦、自分の腹をくくられたら、その一念を通される方です。大先生はそういう方ですから、お参りした者達をタダで帰したりはなさいません。
「人にしてもらうのは、きらい。人にしてあげるのが好き」というお方だった訳ですから、お徳も頂かれた訳です。
 私共は、少しでも大先生や先代先生のご苦労を偲ばせて頂いて、少々辛くても辛抱しておかげを頂いて欲しいと思います。
 でも、なかなか思い通りにはならないものですね。だから、そこをよくお願い申していくわけです。ここが素晴らしいところ。
これが信心の妙味というものです。他の宗教にはない、金光教独特のもの。「神様に足して頂く」わけです。
そして「成らんところを成らして頂く」のです。
 私共は、もう人生途上でやるべき事は大体やらせてもらってきて、一通り済みそうです。で、残っている御用は「この信心を後世に伝える」こと。
これが私共に残されている一番の仕事です。
 「伝える」という事は、天地の財産を子や孫に渡すことです。伝承しなかったら、せっかくの財産も宝の持ちぐされで終わってしまう。もったいないことです。
 皆さんも日々こうしてお参りをして、時間とお金をかけて受けておられる徳。これを自分だけに留めておくのは、もったいないことです。
だからまず、自分が助かり、その助かった姿を子や孫に見せて欲しいと思います。
「有り難う、有り難う」と喜ぶ姿をです。そして、可愛い年寄りになって、家族を導いて下さい。家族仲よく交流して下さい。
 生きることが信心なんです。信心とは手を合わせて拝むことだけではありませんよ。
手を合わすことは簡単ですが、それよりも楽しく仲良く助け合って暮らすことです。
そして良いおつもニコニコ、笑顔を忘れないこと。暗い人は損ですよ。
 私は高須教会は、明るい教会だと思いますね。それは信者の皆さんが、それぞれ前向きの生き方をしておられるからでしょう。
有り難いことです。何にしても明るくないといけませんね。
中には「一人で苦労を背負っている」という韻の人もありますが、こういう暗い人はいけませんね。
もっともっと思い変えをして、神様のおかげを見つけて下さい。
 その気で見回したら、私共の周りはおかげの山ですよ。私達は、おかげの中で生かされているんですから。


          (親先生のお話より)