「仮の世」   2010. 11. 1発行

 この世は仮の世といいますが、私達は神様からの借家で過ごさせて頂いています。
ここが分かれば、信心も少しは分かったことになります。が、私共は神様から貸して頂いているのに、感謝もしないで横領した形になっています。
家主である天地の神様に家賃としてお礼、お詫びを申すこと。
この基本姿勢をしっかりと頂いていくこと。
そして、それを実行されること。こうする事で、おかげも頂けます。
マメにコツコツと実行を続けましょう。
 信心は作業です。自分の我で実行し続けることは出来ませんが、「お礼、お詫び、お願い」と繰り返し続けていましたら、最初は難しくても、やがては出来るようになります。
作業し続けることです。なかなか難しくて出来なぐても続けること。実現するまで願い続けること。神様は私共の家主さんですから、健康のこと、経済のこと、心の問題などをお願い申して、傷ついた個所を修繕してもらうように願うことが大切です。
 私共の人生には、思い通りにいかない事がたくさんあります。
今日のことでさえ、どうなることやら分かりません。
「一寸先は闇」と言われるように先のことは全く分からない。
例えば、死についても年寄りが先に死ぬとは限らない。
元気に活躍していた若い人が、突然に死ぬことだってあります。と、こう考えると我が家の子供たちが元気で育ち、家族仲良く過ごせていることは、本当に有り影いことだと思いませんか。
 先日銀座に参りました時、街の様子を見ておりましたら、家族サービスでディズニーランドに行った帰りでしょうか、三人のお子さんを達れた親御さんが居られました。
お父さんもお母さんもお疲れの様子でした。伸び盛りの子が三人もおりますと、子育ても本当に大変だと思います。
その時思いました。こうして一生懸命に育てていても、それぞれの運命はどうなるものやら分かりません。
私共には、一寸先のことなどは分かりませんからね。だから、「あの人達も信心されていたら、もっと楽に世渡りされるだろうが・・」と思いました。
 「楽に進める」ということは、「努力せんでもいい」という事ではありませんよ。
辛抱し努力していても、それが「苦」にならないようになること。これが、すばらしいのです。神様が目に見えてくるから、楽なんです。
イライラしなくていいわけです。呑気に心を遊ばせて、そして実践という作業はしっかりとざせて頂くこと。
「何事も我が力では出来ないのだから」と、お礼申しながら作業させてもらうのです。神様は大家さんですから、借家人にはちゃんとそれだけのことをして下さいます。
私共は、足りないから願うのですよ。満ちたりていたら願う必要はないのですからね。ここをお間違いになりませんように。
 教会も皆さん一人一人のために、早朝から開けています。こうして神様のみもとにお引き寄せ頂けて、もったいないことではないですか。
神様にお叱りを受けていたら、病気や怪我でお参りできなくなりますよ。
だから、こうしてお参りさせて頂けているのは、神様から祝福を受けていることなんです。「神様から祝福を受けていて有り難いなあ」と、喜ばせて頂きましょう。


          (親先生のお話より)