「親まあ」   2010. 9. 1発行

「鉄は熱いうちに打て」という諺があります。
早めにしておかないといけませんよということです。
子供に対する親の心構えですね。
信心の継承なども入ると思います。
でも、あまり信心の継承にこだわらなくても、私どもが良い親になれば、自然に子ども達はついてくるのではないでしょうか。
だから、親としては頑張らないといけないわけです。
信心はちょっと置いといて、良い親になることです。
子ども達に好かれるような努力はしませんとね。

 信心、信心と言いましても、親の気持ちがわかってもらえないと、子供も不幸ですね。
親としては、子供が自分達の気持ちをわかってくれるよう努力していかないといけません。
話をしていても目が合っているかどうか。
合っていないのではないですか。
一緒に居るだけではないですか。
よそを向いてはいませんか。

 「また、始まった。」ですよ。悔しいけれど、親の立場としては、たとえ子供がどうであろうと幾つであろうと、親子で目を合わせて話ができるようにならないといけないと思います。
折角、親子になったんですから、全力投球されないといけませんね。
だんだん、親もくたぴれてきているでしょうが、さらに一生懸命にすることです。
気に入ってもらえるように頑張らないといけないわけです。

 しかし、なんでも言われるようにしていたらよいというものでもありません。
親としては、お役に立たなければなりません。
ですから、いけない事は言ってあげなければなりませんし、最後は祈ることでしょう。
言ってもわからない時には、祈っていくしかないのです。
一日でも早く気がついてもらうことが、子供にとっても幸せなのです。
そして親は、子供が苦しんでいることを察知しなければなりません。
何が苦しいのか、早く気付かせて頂き、良い親にならせて頂くようお願いしていくしかないでしょうね。
親子、孫、みな運命共同体ですから。
「親亀こけたら、皆こけた」とならぬよう、しっかり信心を頂いて下さい。
「先生、なかなか良くなりません。」と言う方がいますが、それはやっていないんです。
信心すれば、みなおかげになるのですから、良い結果が出るまで頑張らないといけません。
精進していかなければなりません。
努力をがむしゃらにしても、そのことが必ずしも精進につながっているとは限りません。

 教会では、精進の仕方をお教えしているのです。
精進するという事は、「口では言わずに身体で示せ。」という事です。
あまり厳しい態度をすると、子供は嫌がります。
だから、祈らせてもらって、家庭円満、親の気捧ちがわかり、親孝行してくれるような子供になりますようにお願いすることです。
そして又、親は子孝行、子供のために生きてあげて頂きたいものです。

          (親先生のお話より)