「綿あめ」   2010. 6. 1発行

 お道では、「氏子あっての神。神あっての氏子。」と言っておられます。私共は神様に生かされているのです。だから、神様を離してはいけません。これが信心の稽古なのです。神様から生かして頂いている事を自覚して、神様にお礼申していくことが信心なのです。ですから、「生かされている事が分かっている」だけでは駄目ですよ。神様に「有り離うございます」の心を捧げないといけない。口先だけではなく、それを形にして描いていかないといけないのです。

 こういうことが理解されると「信心」になります。生かされていることが分かったら、神様に心を向けて行動していくのです。

 「天地の御徳に対しては身を粉にしても奉ずべし」です。私共は全てをおかげ頂き、その中に生かされて生きているからです。中には「私は別に悪い事はしていないのに、何でこう悪い事ばかり起こるのか。」と嘆く人もありましょうが、それ以前の問題で、私共は生命の根源から頂いているのです。どんな悪条件であっても、おかげを頂いていることは確かですから、神様に少しでもお返しをしていくように。

 とにかく信心とは「神様に生かされて生きている事を分かれ」という事です。神様は善悪まぜて、どんな人でも生かして下さっている。泥棒でも罪深い殺人鬼でも生かして下さっています。善悪とりまぜて生かして下さっている神様は、ふところの深い方です。だから私共は、生かされている事をもっと喜んで、家族にももっと話して伝えて下さると「それが神様にお礼申すことになるんだ。」と私は思っています。こういう姿が「あいよかけよの姿だ。」ですし、そこにおかげがあり、神様のお働きが頂けるものだと思っています。

 こういう思いに繰り返しなっていくように訓練していると、やがておかげが綿あめのように次々に出て来るようになります。

 「もういいよ」と言うてもドンドン出てきて、おかげの綿あめが手にも背にもついてくる。綿あめも最初は要領が分からない。でも続けておればコツが分かり、次々と出てくるようになりますから、そういう生き方をしていきましょう。

 一生懸命に明るく楽しく、前向きに生きる生き方。そういう努力する姿勢が、本当の「良い生き方」なんだと思います。こういう姿が神様から頂いた生命を精一杯に生きている人の姿でしょう。だから私は「神様にしっかりお礼を申しながら生きる姿勢が、すばらしいのだ。」と思います。それが神様から生かして頂いている私共の正しい生き方です。

 皆さんも難しい顔をなさらないで、家族の上にももっとやさしい目を注いで頂かないといけないと思います。難しい顔で暮らしていると貧乏が寄って来ますよ。だから、もっと嬉しく楽しく暮らさせて頂きましょう。特に問題のある家族の人達は、負けないで頑張りましょう。

          (親先生のお話より)