「一神一如」   2010. 5. 1発行

 銀座教会の二代の先生が亡くなる前の最後のお話で「信心は神様と一つになることです。

神様と人間が仲良く暮らすことを信心というんですよ。」と言っておられます。

私達は何かおかげを頂くだけが信心だと思っているでしょう。

そのおかげを頂くということはどういうことかというと、やはり神様と一つになることなんですよ。

そうすれば、みなおかげになるのです。

社会生活でおかげを頂くんじゃない、信心生活でおかげを頂くんですから、もう次元が違います。

○○教とか関係ない、超越したお話です。天地教です。

お釈迦様もキリスト様も皆、神の氏子だと言われています。そういう神様ですよ。

ですから、有り難いです。

 だから、私共も別に金光教というのにこだわらなくても・・・たまたまね。

社会生活には固有名詞がいるでしょう。だからそれを言ってるだけで、本当は必要ないんですよ。

私共は天地の氏子で、天地の中に生かされている氏子として神様と一つにならせてもらうことが大事なんだなと思います。

皆、神様の子ですから、本当は不幸せになるわけないんです。

それが、何で不幸せになるかというと、わずかぱかりの「我」ですね。

一人ひとりの個性というんですか、個性と言ったらかっこいいですが、さかさまに言えば 「せこせこ」です。

個性は反対に言ったらせこいんです。

そのようなことばかりやってるから、どんどん神様の本筋から外れて行って難儀なことが起こるのです。

神様に近付くようにしていくのが信心なのに、神様からずIと外れていくんですね。

「神様なんか、あてにならん。自分しかないんだ。」と言ってやっていく。

ほとんどの方がそうです。皆さんはどうですか?

結局は、この天地から逃げることはできませんし、神様のお世話にならないといけないのですよ。

神様が生かして下さっているのだから、悪いようにはなさらんけど、なお一層そこで確認させて頂こうということで、お願いはしてください。

自分達の方向付けですから、幸せになりたいと思われる方はちゃんと、お届けをして頂かれたらいいのです。

 しかし、お願いが成就するから幸せとは限らないんですよ。

銀座の先生の言われる「神様と一つになる」ということが、私共にとっては一番の幸せなのです。

ですから、今こうして教会にお参りし「神様と一つ」になっているのですから一番幸せということです。

そしてこのまま、家庭においても有り難い思いになれるように、神様と一つになれるよう、もっともっと勉強し稽古をしていきましょう。

          (親先生のお話より)