「家 主」  2009. 12. 1発行

私共の現世は、神様から借家を貸して頂いているのです。

ですから、家主である天地の神様にしっかりお礼とお詫びをしないと横領した形になります。

「ありがとうございます」と、お礼を申すことが大切です。

神様は、私共の家主さんですから、経済や健康のこと、心の問題などをお願い申して、傷ついた個所を修繕して頂きましょう。

自分が努力をさせて頂くと、神様は、私共が持っている運命も変えてくださいます。

信心は作業です。作業し続けて、癖がつくまでには時間が要ります。

自分の我で作業し続ける事はできません。

しかし、神様に祈り続けていましたら、最初は難しくてもやがてできるようになります。

この基本姿勢をしっかり頂いて、黙ってマメにコツコツと繰り返し実践・実行することでおかげを頂けるのです。

実現するまで願い続けて、良い運命にして頂きましょう。

先日街で、三人の子を達れておられるご両親を見かけました。

どこかに行った帰りでしょうか。ご両親は疲れた顔をされておりました。

たまの休日なのにゆっくりできず親は大変ですね。

まさに「子育て真最中」というような親の姿でした。

その時に、こうして一生懸命育てていても、それぞれの運命はどうなるものかわからない。

あの人達も信心されていたら今よりもっと楽に世渡りできるだろうにと、私は思いました。

 「楽に進める」ということは、「努力しなくてもいい」ということではなく、辛抱し、努力してもそれが「苦」にはならないようになるということです。

現代の私共は恵まれていますから、「これで満足だ」「私は、これ以上願わなくてもいい」という人が居りますが、「願い」を持たない人には勢いがありません。

推進力がないから元気がなく弱々しい。

人生を渡っていくには願いを持って生きることが大切だと思います。

私共の人生には思い通りにいかないことが沢山あります。

今日の事でさえどうなるかわかりません。

例えば、死についても、年寄りが先に死ぬとは限りませんね。

元気で活躍していた若者が、突然死ぬことだってあります。

「子供達が元気で」と喜んでいても、今後どうなっていくかわからない。

そう思うと、我が家の子供達が元気で育ち、家族仲よく過ごさせて頂いていることが本当に有り難いことだと思いませんか。

神様は「そこをわかりなさい」と申されているのです。

信心していれば、神様が目に見えてくるので、実践という作業をしっかりさせて頂くと、あとはイライラしなくても、呑気に心を遊ばせておればいい訳です。

作業をさせて頂いておると、家主である神様は、私共にちゃんとそれなりのことをしてくださいます。素晴らしいですね。

満ち足りていたら願う必要はないのですが、一寸先は闇。私共の一日一日は危ない。

だから願うのですよ。こう考えてみると願わずにはおれませんね。

          (親先生のお話より)