「偉大なるもの」  2009. 11. 1発行

 このお道は、教祖様が天地宇宙の頂点に居られた、偉大なるお方に出会われて出来たお道です。

玉水の初代大先生も「キリストもお釈迦様も、神の氏子」と言われているのは、そのゆえんだと思います。

だから教祖様も「私の神様が一番じゃ」とか、そんなお気持ちではないと思いますね。

他宗教と競り合っていかれるようなお気持ちではなく、「私共は全て『神の氏子』と気付いて欲しい」と申されているのです。

だから、このお道はより偉大なるお道だと思います。

ですから皆さん方も、もっとしっかりと天地の宗旨だとして信じて下さい。

そじていかなくてはいけないと思います。

天候一つとっても、人の力では全く及ばないことです。全てが神様のお造りになったものだと思います。

 では残ったもの、自分の物とは何かというと、それは「我」です。

訳の分からないしがらみのようなものです。「わしが、わしが」の我。自分勝手のいいほうに取り込んで、思い込んでいる我です。

ですから、信心するほどに我が強くなるようでは困ります。

 お互いが、神様の偉大な事が分かること。これが、しっかりおかげを頂いて下さることになります。

そして、それが教会の願いでもあります。

助かって頂きたい。こういうおかげを共に頂きたい。

「もったいないなあ」と思えるような、おかげを頂いて欲して、もっと本気で神様を頂いていく事が大事だと思います。

 「先生、いつになったら、そんな事が分かりますか」と思われるかもしれませんが、それは信心すれば分かります。

信心して 「人間は本来、自分の力で生きているのではなく、生かされている自分なのだ」と気付けばいいわけです。

この世にあるもの全てが、無尽蔵の資源から出来てきたものなのですから。

 皆さんは信じられますか。私共の全てが、神様から与えられているものなんだと。

だから、おかげば与えられているもの。備わっているものなのです。

ここに気付けば、人間生活の諸々のしがらみから抜け出せるということです。

 私共は、天地の働きの偉大さをもっと感しい。

天地自然の働き、花の色香の移ろいにも、もっと感動が頂けるようになって欲しいと思います。

 人の心は移ろいやすいものです。

時には、生きることの虚しさを感じ、淋しい気持ちになることもありましょうが、これも神様からのお知らせだと思います。

「しょげこんでいないで、もっと前向きに求めて進みなさい」と告げておられるのだと思います。

 せっかくの人生ですから、目的をもってお互いに励ましあい、甲斐ある人生を過ごして欲しいと思います。

経済の上にも、人間関係の上にも、健康も、少々のことにこだわらないで、前向きに明るく生きていきましょう。

          (親先生のお話より)