「毎日が命がけ」  2009. 5. 1発行


 私共は、神様から生命を頂いて、今日も生かされています。もったいないことです。

この生命は、誰も同じ価値があるもの。

みな神様から同じように頂いているものです。

神様から分身を頂いているのですから。

 「今日も生きている」という事は、「今日もおかげを頂いている」ということです。

笑えるのも悩むのも、おかげを受けているからこそ出来ることですからね。

だから、私共は日々、天文学的なおかげを頂いて生かして頂いている、と言ってもいいでしょう。

 こういう無限の愛を持たれているお方を私共は頂いているのですから、あまり小さな事で悩まないように。

信じていれば必ず道は開けます。

だから、小さな事に気を奪われないで、まず「自分は今、何をしたらいいか」を考えて行動してほしいと思います。

「日に日に生きるが信心なり」なのですから、いつもくよくよ過ぎ去った事に気を奪われて悩んでいないで、今日やるべき事を充実させて下さい。

 そして、同じ生きるなら幸せを願わないといけませんね。

このお道の神様は、願い成就のおかげを出して下さる神様ですから、しっかりおすがりをして下さい。

 私共は、委任状を神様に渡していますか。

神様におまかせしていますか。我が力では出来ない事も、神様におすがりしていくと出来ますからね。神

様に本気でおすがりしていけば、向かう倍以上の徳をくださいます。

 ある方が、死が迫っている状態で、お参りして来られました。

そして、ご神前でなかなか動こうともなさらない。

お別れのお参りに来られたわけです。

深々とお別れのお礼を申されている。

そして「もっと一生懸命に信心をさせて頂いておれば良かった。

今さら気付いて残念です。
どうか後に残る家族達には、しっかり信心をさせてやって下さい」とおっしやった。

フラフラの身でお参りに来られて、こういう信心継承のお願いをなさって帰られる。すごいですね。

 「今頃になって遅いのではありますが、命をかけて信心の素晴らしさを分からせて頂いております」と。

 みなさん、信心の尊さや有り難さを、死の間際に立って初めて気付くようでは残念ですから、もっと早く気付かせて頂きましょう。

だから、信心は命がけでやるものです。

 「分かった時は遅い」「もっと早く分かっておれば良かった」と反省し残念がらないように、今やるべきことを頑張りましょう。

命を張ってやれば何でもできます。

 私共は教会に何をしに参っているのか。

それは、運命をいい方向へ変えて頂くためです。

ですから、しっかりお願いして下さい。

そして、我を出さないで、素直に教えを信じて、信心の稽古をさせて頂きましょう。

          (親先生のお話より)

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