「神徳」2008. 12. 1発行

 先代先生は三畳の間のお広前から始められましたが、玉水初代大先生も最初はお広前が狭くて、人が六人ほど入るといっぱいになったということです。

「教えのためなら死んでも良い。」という命がけの布教の姿勢でありました。

高須親奥様も非常に身体がお弱い中を命がけで信心して下さった。

ですから現在、私どもや子や孫がおかげを頂いているのです。

こうしたところを見て下さると、このお道が子孫繁栄の道であるということもお分かりになるでしょう。

信心させて頂いても、ただ雨つゆをしのいでいるだけではつまらないと思います。

皆さんも子々孫々の立ち行きを願い、ぜひ安心立命のおかげを頂けるように努力して下さい。

これが人としての一番の喜び、真の幸せを得るということになるのでしょう。

財産は残しても、やがて崩れ消えるものですが、信心を残しましたら、それは「徳」として残り積み重なっていくでしょう。

 玉水初代大先生は布教当初は、「不自由ほど有り難いものはない。

不自由はおかげである。」と考えさせて頂き、不足を思われないで感謝で不自由を受けられました。

しかし、玉水初代大先生の奥様はどのように受けられたのか、何しろ毎日が大変だったでしょうから、自分は有り難くても、家庭の人達の信心に差があったら辛いと思います。

ですから信心を伝えるということが必要なのです。

「信心すること」は大変なプラス志向です。

 銀座教会も布教されてからすぐ関東大震災(大正十二年)からスタートされ、東京大空襲(昭和二十年)では丸焼けとなり、このような状態の中から銀座の先生は復興を願われたのです。

二十五日が丸焼けになった日なので、この日にご大祭をなされておられます。

普通の場合、丸焼けになったら放心状態になり「もう、大阪へ引き揚げようか。」ということになるのでしょうが、スエヒロに住む場所を借りて、昭和二十年に焼け土の中から東京復興に向けて平和祈願をなされ復興の再スタートをされました。

昭和六十年に現在の教会を建てられ、今年が二十三年目です。

銀座の1等地ですごいですね。

その気になれば、このようなこともできるのです。

 (親先生のお話より)

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