無策 2008. 10. 1発行

 信心を実践するには、自分を押し通さないことです。「我が力でやると思うな」です。

「神様のお力にすがらないと、とても出来ない事だから」と、自分に自分が言って聞かせるわけです。思い替えをする。

これが、一番大切なことです。

 「思いを替えれば、すぐおかげ」ですが、そこがなかなか出来ない。
私達にへばりついてしまった考え方です。

それで、何とか自分でやろう、自分で始末しようとする。

そして、「ああでもない、こうでもない」と策を施そうする。だから苦しむのです。

 何か問題があったとしても、毎日を本気で生きていたら、何とかなるものです。だから、くよくよしないで生きる用意をする。

 「我が力でやると思うな。生きる用意をせよ。我が力では出来ないが・・・」と、いつも思い替えをしながら暮らしていますと、その問題についての気持ちが楽になります。

こういう思い替えの稽古を日々やっていましたら、それが身について気分が楽になります。

いくら良い話を聞いても実践しなくては、おかげを頂けません。

だから、こういう基本的なことをくり返し稽古していきましょう。

 スポーツに例えると、野球の素振り。サッカーならパスの稽古でしょうか。
「誰でも出来るわ」と言うが、見ているだけでは何にもなりませんね。
くり返しの稽古がいるのです。

こうしている間に道がついてきて、上手に出来るようになります。

素振りしている間に技が上達してきますよ。

 ですから稽古が大切なのです。お参りが大切です。努力して頑張ってお参りすること。

始めは、ただお参りするだけであっても、段々と思いが変わってくるものです。

 そして、信心は実践しなくてはいけません。本ばかり読んで分かったような気分では駄目ですよ。

先代先生も「頭が本箱になったのでは駄目だ」と、何度も話しておられますね。
信心は実践ですから、教えを我が体で書かなくては。体に覚えさせて、体で現していかないと信心にはなりませんよ。

 信心とは「生きること」。辛い時には「これが当たり前じゃ」と思い、楽な時には「こりゃ、夢の中じゃ」と思う。

良い調子で物事が進んでいる時には、「こりゃ危ない。気をつけないといけんぞ」と思うことです。

 しかし、人生いつ何どき何が起こるか、分かりません。精一杯気をつけていても、危険な目にあうこともあります。

だから、いよいよ最後には、神様に手をさしのべて一心にお縋りしていくほかありません。

 毎日が平穏無事であるという事は、非常に有り難いことです。

今日まで無事に来れたこと。いろいろ問題はあっても、こうしてお参りさせて頂けたこと。

そこを「有り難い」と思い、「有り難く思えることが、大変なおかげだ」と、よくお礼を申し上げましょう。


      (親先生のお話より)

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