信は宝 2008. 8. 1発行

 私共は、一人ひとり「願い」を持っていますね。その中で願いに反する事が次々と起き、迷う。

だから「何でもお伺いをすると良い」と思うでしょうが、それは良くありません。そのときのために「教え」があるのです。

「教え」に添うようにしていくと良い訳です。

そして、どうにもわからないことはご結界で聞かれると良いのです。

 そして、教えを頂いた以上は信じて進むことです。

しかし、自分に信念がないとわけがわからなくなって迷います。

何ごとにもお伺いばかりしないで、自分で判断して信念を持って、それを完成に向けて進んでいくようにする事が一番良いでしょう。

 例えば、「先生、熱があるのですがお風呂に入りましょうか」と言うような事は聞かなくても、自分で判断できる所は自分でした方が良いでしょう。

「いつから商売を始めたらいいですか」こんな事は聞かれると良いと思います。

「冬にせぇ」「夏にせぇ」と、言われるままにされたら良いでしょう。

そして、お伺いをした以上はそれを本気で信じ、目標にして実行されたらよろしいです。

何もかもいちいちお伺いしなくても、日々のお話をよく聞いておられたら、だいたいわかるでしょう。

私は皆さんの判断が間違いの無いように気をつけておりますが、「おかげは我が心にあり」ですよ。

 皆さんも万事好都合に進んでいるときは安心ですが、うまくいっていても先はどうなるかわかりません。

安心していたら危ないのです。うまくいかない方が、心を許していないから心配ないのです。

「うまくいかなくて元々」くらいの気でいてください。

物事がすいすいいっている時はしっかり気をつけて下さい。

うまくいっているのはまぐれ。つまずくのが本当。

こういう気でいれば間違いないです。うまくいっていると、ひっくり返された時に辛いです。

「信心しているのに、なんでこうなるのだろうか」と、思いますね。
ここで迷う人が多いのです。

そんな時は、「信心してこの状態だから、信心していなかったら大変なことだ」と思い替えてみてください。

 私共はありがたいことに先代先生は勿論のこと、玉水、銀座の先生や諸先生方の教えを頂き、そのおかげで信心のない人のことを思えば、随分たくさんのことを悟らせて頂いています。

だから、これを財産だと思って喜ばして頂いてください。

今はいろいろ大変でしょうが、私共はこれから良くなるのです。

神様にお縋りしていて悪くなることは絶対にありません。

例え悪くなっても、それは一時的なこと。絶対に良くなります。

 しんどい、辛い、苦しいと思った時は「これで私のめぐりを取り除いていただくのだ」と思えば、先は開けっ広げ。

何でも出来ていきます。

お伺いしなかったからには、そのお言葉を信じて貫いて進んでいってください。
 

 (親先生のお話より)

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