一心 2008. 7. 1発行

 玉水初代先生は、「一心神徳」とか「真心神徳」とか言っておられますね。

「どこまでも信心を貫いていきなさい」と。

「一心に願え」という教えの事です。

が、若い時は体力があるから、そういう事も出来ますが、歳をとるとそうではいかない。

段々と体力が落ちていきますから、朝起きても体に聞いてみないと、お参りもみやすく出来ない。

だから、「一心の思い」だけでは動けない事もあります。

集中力も落ちてくる、物忘れも多くなる、体も弱る。

すると、いよいよのところは「改まり」「真心」をしっかり神様にお供えしていく。

これが間違いない信心です。

 一心ばかりでは、疲れて途切れ途切れになりましょう。

だから、困っているところは一心にお願いし、最後は改まっていく。

この両方を交互に進めればいいのです。

 こうして臨機応変に、それぞれに適したやり方で対応していくようにすると良いと思うのです。

そして「改まり」を実践していきましょう。

不足を思う時とか疲れた時とかは、くじけないで「こうしてやらしていただくのが有り難いのじゃから」「日々がさら。改まりが大切なのだから」と、みなさんが日々を楽しく嬉しく過ごさせて頂くように。

 このように実践の努力をしていたら、神様は自分の一番良い方向に導いて下さいます。

そこを「自分で、自分で」と我を出して自分で動こうとすると辛いですよ。

道が分からないのに自分でやろうとするから、ゴタゴタになってくるのです。

 「お願いしてもおかげになったり、ならなかったり」と言う人もありますが、これは違いますね。

私共は、おかげの中につかっています。ご神縁を頂いて、その中に浸かって暮らしている。

だからもっと一日一日を大切にして、一心に本気でもっと努力を。
でないと信心も進みませんよ。

 信心も本気で頑張ることです。「信心する」というても、やる気があるかどうか、日々の中に感動があるかどうかです。
だから自分なりに精一杯、日々を大切に暮らすことです。

 今現在の暮らしぶりが未来を決めるのですから、今日を大切にして充実したものにするようにしましょう。

一歩一歩を大切にしていかないと、良い未来はやって来ません。

今日を大切にせずに、先の事を思い悩んでみても仕方が無いです。

まず、自分の足元を大切にするところからです。

 誰にも抱えている問題はありますが、まずは頂いた一日を充実したものにしようとすること。

病気の人も「痛い、痛い」と言うより、信心して「ありがとうございます」と唱えて下さい。

 そして、いよいよのところは神様におすがりするほかないですよ。

私共には、他に何も出来ない。ただ分かっている事は「神様が私共を生かして下さっている」ということです。

こういう事が分かれば楽ですね。

こうなると「全てがおかげ」です。

 だから私共は、そういう稽古をさせて頂きましょう。

     (親先生のお話より)

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