いもづる 2008. 6. 1発行

 鏡を太陽に向けるとピカッと反射しますが、向け方によっては反射しないことがあります。

同じようにお願いが的を得ていませんと、おかげにはなりません。

ですから、私たちは、お願いの言葉でも気をつけないといけませんね。

「いつになったらおかげがいただけましょうか」というような願い方ではいけません。

「おかげ頂こう」と思ったら、もうおかげは頂いているのだそうです。

 「いもづる」を思い出してみて下さい。

いもを取り出そうと思ったら、「つるを引っ張れ!」です。

いもはどこにあるのかわからないけれど、先ずは、つるを引っ張ること。

つるを引っ張ったら、必ずいもは出てきます。
この「引っ張る」とは「願う」ことです。

願えばおかげが頂けます。

「信心すればみなおかげ」という訳です。

どうぞ信心を頂いていって下さい。信心とは神様を頂くということです。

 信心の「信」という字は「人が言う」と書きます。

口で言うことと、実行することが違うようではいけませんね。

私共は、どうも口で言うだけで、ということが多いようです。

「口で真を語りつつ心に真の無きこと」というところです。

 神様にお願いしても「それは言うても・・・」とか「一応、お願いはしているけれども・・・」という思いが心の底にあるでしょう。

でも、私たちはなんとしてもおかげにして頂かないといけないのです。

だから「どうしても」とか「なんとしても」という気持ちにならないといけません。

こういう気持ちで縋っていけば、間違いなくおかげが頂けます。

 お願いは、「もう大体、目標に近づいた」と途中で安心してしまってはいけません。

願いをかけた以上は最後まで願い通していくように、その願いが貫通するように努力していくことです。

そういう稽古をして下さい。

このことが、良い体験として積もっていき、信念となっていきます。

 身体も、経済も、心も、みな揃っておかげを頂きませんとね。

「身体丈夫」をお願いしながら病気をするような方がありますが、それは一応「身体丈夫に」とお願いしていても、その願いが成就するように実行していないからです。

「身体丈夫」を願った以上は自分の生活を摂生していくこと。

食べ過ぎ、飲み過ぎに気をつけて、体に良いことを次々と実行していくこと。

 また、経済のおかげを頂くためには、むだづかいや衝動買いはしないこと。

金の使い方をよく考えて、金は「無い、無い。」と思わないで、「ある、ある。」と考えて貧相な思いをしないように。

ここまで食べさせて頂き、生活できたことをお礼申し上げましょう。

 言ったことと、することが一つになること、神様に申し上げたことが自分の願いになり、行動となっていき、最後まで願い通していく。

なんでも、そういう稽古をさせて頂かないといけないと思います。

「口で真を語りつつ心に真のなきこと」ではいけませんよ。

真の生き方を体現していくことです。


     (親先生のお話より)

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