超常識 2008. 5. 1発行

 教祖さまは、「何でも願え、箸が転げた事でも願え」と、言っておられます。

それは、信心の基本的なことです。

しかし、「人を殺しますが、うまく殺人が出来ますように。」のような、筋の通らない事はいけません。

「何でもハイハイと一応は受けなさい。

しかし、お火鉢の方へ誘ったりして、その願いが間違っている事をよく話してあげなさい。」と、私は銀座の初代大先生から教えて頂きました。

お願いは何でもできます。

しかし、「人を殺したい」というような憎しみのお願いはいけません。

願いは「すべてのものが幸せになるように」ですからね。

私達は、信心生活をしながら社会人として生きているわけですから、世の法律に反した事はいけません。

社会生活に順応していけないようでは、信心も出来ないわけです。

社会生活のルールの中に信心の道、神様への道があるわけですから、まず人の道を守りながら神様への道を求めて行くこと、頂上を目指して歩むこと、人の道を極めること、これが「助かること」なのです。

しかし、人の道を極めても限界があります。

神の道を極めさせて頂くことが私達信心する者の目標でしょう。

 倫理道徳というのがありますが、信心はその上をいくものです。

「人は人の上に人を造らず、人の下にも人を造らず」とありますが、これは、倫理道徳ですね。

人は平等であるということです。

玉水初代大先生は、「こうした中でも縋ってくれば助けてやるぞ」とおっしゃっています。

だから、縋って行かねば損です。

 神の道は広大です。

信心の道を登っていけば、神様に生かされている自分達であることがわかります。

それにはまず、社会のルールと法律を守ることです。

守れなくては人間とは言えません。

しかし信心をすれば、人の道もわかり人間の幅も広がってきますね。

プラス思考の生き方でありたいです。
 
 自分勝手で利己的な生き方をした願いもいけません。

国と国との争いや戦争も、人の幸せを願って暮らしていると無くなるはずです。

皆の立ち行きを願い、隣近所が皆信心して下さると、世の中は一つとなるでしょうね。

金光教の願いは、「世界真の平和の達成」と大きく幅広い願いです。

全ての人の助かり、全てのことの幸せを目標にしています。

それが信心の一番の願いです。

 だから、まず自分の主張は後回しにして、人の喜ぶことから始め、家庭の中の平和を祈ることです。

家族が信心することに反対している方は、隠れてでもお参りをし、家族が理解してくれるように祈ることです。

そして、家族と仲良くして親しく理解してくれれば、お参りにも賛同してくれる様になるかもしれません。

信心とはどういうものなのか、理解してもりえるようになることが大切ですね。

すると神様は導き守ってくださいます。


     (親先生のお話より)

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