信心の種 2007. 11. 1発行

 信心とは実意・丁寧・親切・正直と申しますが、まとめて全てが実意に入ると言えましょう。

実意とは、真のこと、本当の気持ちです。覚えておいてくださいよ。

 信心とは、お願いを並べて手を合わせておけばいいのだろうと言いますが、それは信心を始めて一ヶ月ほどの状態の事。

皆さんの様に何十年も参っておられる人でしたら実意・丁寧・親切・正直が常に身についている状態でないといけないのです。

人より自分は、苦労してきただろうと思っていてもそれを喜べるようでないといけません。

 いつまでも不足を並べているようではおかげは頂けません。

人より苦労させてもらっているが、それだけ神様は私を認めて下さっている、ありがたい、と思い変えて頑張らせてもらうようでないといけません。

忙しい、辛い、苦しいと思っている人は、それだけ神様があなたを認めて下さっているからなんですよ。

「難・苦・節を喜んで行け」なのです。

 誰もが皆、「出す事は嫌い。貰うのは好き」ですよね。

「遊びに連れて行ってあげよう」と言うと、「ハイハイ」と良い返事がかえってくるのに、やりたくない御用を頼まれると居留守を使って返事をしませんね。

人の心とはそんなものなんですが、皆がそういう心根では困ります。

信心を頂く者は、人が嫌がり嫌うような事を喜んで行う。

だからおかげが頂けるのです。横着をして得をしたいのでしょうが、横着をしていたら横着をしただけの結果です。

一生涯いいようにはなりません。

やはり人並み以上に努力をしなければいけないのです。

私共の運命は「一生涯の苦労」が決まっているのです。

苦労の後送りをしていたら、年老いてからそれがまとめてドーンと来る。そうなると大変です。

苦労も若いうちにやるのが楽です。

 玉水初代大先生のお話の中に、借金がある芸者さんに「あんたは借金をして困っているんだから無くしたダイヤの指輪が出てきますようにと願うより前に、まず、きちんとした暮らしが出来るようにと願う方が先ではないか」というお話があります。

要するに「自分の身に合う暮らし振りをせよ」とおっしゃっている訳です。

皆さん方も変な見栄や体裁をかまわないで、自分自身をそのままに見て頂けるような生き方をして頂ければいいのではないかと思います。

 神様は私達の全てを見抜き見通しです。

一挙一動を黙って天上から見ておられます。

ですから、真心を出す稽古を一生懸命に行っていますと人は成長し向上します。

 私共は神様から生命を頂いています。

神様は決して悪いようにはなさいません。

生命があれば何とかなるものです。

粗末にしていたら早く無くなりますが、大切にしていたら長寿もできます。

私共が今、生命を頂いている事は確かな事ですから、確かなものをしっかり握って頑張って頂きたいものです。


     (親先生のお話より)

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