宗教経営学  2007. 10. 1発行

 皆さん、私達は死ぬまで寿命いっぱいに生かして頂きましょう。これが、私共に課せられた使命ですから。

神様から頂いた生命なので、どんなに辛くても生きていかなくてはならないのです。一生の修行です。

 だから、どんな立場であっても、辛くても、喜んで受けていくこと。すると、徳を頂くことが出来ます。

 こうして、喜んで生きていると、神様はどんな辛く厳しい運命であっても、やがてそこから抜け出させて下さいます。

悪い運命から良い運命に変えて下さいます。それが、すばらしいのです。
信心のおかげで。これがすばらしいこと、最高のことです。

 全て神様のおはからいなんです。

そして、起きてくる事柄も全て神様のお引き回しの中ですから、嫌なことでもやらして頂くように。

 宗教的経営と言いましょうか。

人の嫌がることを進んで行うようになったら「一人前!!」です。

玉水の初代大先生は「そういう場合は自分の利益になることでも、それは一応さしおいて、まず人の助かるように仕向けていくことが、自分も救われることになるんだ」とおっしゃっています。

 そういう善行は徳となって身につき、天地の帳面に残っていくわけです。

「信心させて頂いたから」というても最初はパッと効果は出ないでしょうが、次第に歯車が合うように信心の甲斐が出てきます。

 信者さんの中には、広大なおかげを頂いておられる方も多いです。

しかし、私はまだまだ悩んでおられる方が多いので、それが残念なのです。

私は、信者さん全ての人たちが、おかげを頂いて救われて欲しいと思っているのです。

これが、私の願い、神様の願い、先代先生の願いですから。

 全ての方が救われて頂き、どういう方向から雨が吹き込んで来ましても「サッ!!」と傘がさせて欲しい。

上からだけではなく、横からも下からも。どの方向から降雨がありましても傘がさせるように。

「信心辛抱」という傘が。

 私共は今そのために勉強中なのです。

だから、こうして辛抱をさせて頂いて、自在に傘も動かせるようになったら大丈夫です。

そういうことが出来るようになる。それが信心を頂いて「真の自由」になることだと思います。

 不自由からの脱却といえましょう。

辛抱すると不自由からも越えられるようになるし、皆さんの悩んでおられる諸問題も解決できるでしょう。

嫁と姑の問題、夫婦や親子の問題などの諸問題は、人間なら誰にもあるのです。

しかし、こういう悩みがあったとしても、こういう中でももっと自分の心が和らぎ大きくなっていけば、もっと救われるのではないでしょうか。


     (親先生のお話より)

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