信心が嫌い  2007. 8. 1発行

 先代先生は「私は初め、信心が嫌いでした」と、おっしゃっています。医者から手を離されて死にかけられてはじめて神様にお縋りになられました。

 幼い頃にお父さんを亡くされてお母さんが再婚され、先代先生は叔父さんの家で成長されました。

お母さんも若かったので乳飲み子の先代先生を実家へ残して再婚されたので本当に大変な家庭事情でした。

だから、先代先生は幼い頃から神様や仏様に対して御用をしないといけない様な運命を持っておられたんだと思います。

そうして結果的にこのお道にご縁があったという事です。

 お寺の後継ぎに生まれているのに改宗をするのは、とても大変な事です。

皆さんでもそんなに熱心にお寺を信心していなくても先祖代々の墓が沢山ありますから、家の宗教を改宗するのは大変でしょう。

 でも段々と時代が変わっていっております。

財産の事や家の宗教の事をきちっと整理しておく事が大切だと思います。

そうしないとやがてわからなくなり、子孫も先祖も迷う事になってしまいます。

こうなると難が子孫の頭の上につきます。

そうなると「いくら努力をしてもダメな人になる」という病気になり「ありがとうございます」が言えない人になってしまうのです。

「あんたが悪い」と人を責めるばかりの子が育ち「何で私を産んだのか」「殺してやろうか」と、言うような子ばかり育ってしまいます。

 いろいろいな意味で私共がもっとご先祖様をしっかりお祀りさせて頂かないといけないということなのです。

水道の水でも元栓が腐っていたらいくら飲んでも腐ったままです。

だから、元栓を替えて工事をきちっとやっておかないといけません。

元をきちんと直して、平素、時間の取れる時には基礎点検や修理をやっておく事が大切です。

 こうしておくと家が長持ちし、家庭の中が皆、平穏無事で生活できるのです。

こういう時に先祖のお祀りとか信心を伝える事に力を入れないといけません。

順風満帆で調子よく暮らせている時には家の平穏無事にお礼を申し、先祖様の為にお礼を申したりする事で信心を伝えておく事が大切です。

 しかし、信心というものは何か難が起きている時に進むものです。

神様にお縋りする気になりますから間違いなく信心も進みます。

玉水初代大先生も先代先生も死に掛けられてこの事に気付かれたのですよ。

そのときに、「何とまあ生かされているという事はこういうことなんだ。という事がわかりました」と、言うておられるのです。

 説得力がありますね。

これは想像でおっしゃった言葉ではなく、身に沁みて話しておられる「命がけ」で悟られたお言葉です。

 私共はこの生きられ方を真似させて頂いたらよろしいのです。

先生の生きられ方の後を辿らせて頂いていれば必ず神様に出会う事が出来るのです。


     (親先生のお話より)

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